知らない土地を運転していた時、GPSの指示が奇妙だと夫が気付きました。4車線のハイウェイに入った所で、そこを出て、併走する側道を進むように指示されたのです。渋滞もなさそうでしたが、彼は「信用してみるよ」と言いました。15キロ程進むとハイウェイの方は、渋滞でほとんど動かなくなりました。原因は道路工事でした。一方、側道はさほど混まず、ストレスもありませんでした。夫は「ここまでは見通せなかった。GPSには見えていたんだね」と言いました。私たちは「もちろん神様にも見えていたね」と、声を揃えました。
先を見通しておられた神は、「ユダヤ人の王としてお生まれになった」お方を礼拝しようと参じた東方の博士たちを(マタ2:2)、別の道に導きました。ヘロデ王は、ライバルが現れたという知らせに動揺し、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」(8節)と嘘をついて、博士たちをベツレヘムに送り出しました。そして、博士たちは「ヘロデのところへ戻らないように」と夢で警告されたので、「別の道から自分の国に帰って行」(12節)きました。
神は私たちの歩みも導かれます。人生行路において、私たちは神の先見を信じ、神の指図に従いながら、主が私たちの進む道をまっすぐにされると信頼することができます(箴3:6)。
神が人生の方向転換を促された時を思い出してください。神に信頼して従った結果はどうでしたか。
神よ、私には、あなたに見える道の向こうが見えません。あなたが方向転換を促されているとき、それが分かるように助けてください。