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Patricia Raybon

Patricia Raybon

パトリシア・レイボン氏は、デンバーポスト紙日曜版の元編集者、コロラド大学ボルダー校のジャーナリズム科元准教授です。現在は、神と人を愛するインスピレーションとなるような著書を手掛けています。彼女の目指すのは、恵みをもって信仰と人種問題に取り組むことです。みことばを愛し、世界各地の聖書翻訳プロジェクトにもかかわっています。数々の賞を受賞した著作には、"My First White Friend" "I Told the Mountain to Move"が含まれます。母であり妻であるレイボン氏は、夫ダンとコロラド州に暮らしています。レイボン氏の詳細は、patriciaraybon.comをご覧ください。(英語のみ)

寄稿一覧 Patricia Raybon

人生の嵐に立ち向かう

その夜、テネシー州メンフィスは雷鳴轟く嵐でした。1968年6月4日、キング牧師は疲労で体調も悪く、ストライキ中のゴミ収集作業員を支援する予定の集会はできないと考えていました。しかし、悪天候を物ともせず大群衆が会場の教会に向かっていると聞き、驚いて駆けつけ、「私は山の頂きに立った」という有名な演説をしました。翌日、キング牧師は銃弾に倒れましたが、この演説は、今も抑圧にあえぐ人々を「約束の地」の希望で励ましています。

御国から聴く

メイソンは1歳半になるまで母親の声を聞いたことがありません。医師が補聴器をつけ、母のローリンが「聞こえる?」と声をかけると、目を輝かせました。「こんにちは、赤ちゃん」と話しかけると、メイソンは笑顔で小さな声を出して応えました。ローリンはこの奇跡に涙を流しました。彼女は自宅に押し入った強盗に撃たれて月足らずで出産したのです。メイソンは約450グラムで生まれ、集中治療室に158日間とどまり、聴覚障害どころか生存さえ難しいと思われていました。

黄金に勝るもの

金を求めてゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに向かったエドワード・ジャクソンの1948年5月20日の日記は、病いと死と隣り合わせの苛酷な旅を記しています。「私の骨を置いていかないでほしい。できることなら故郷の土に還りたい」また、「これほどの賭けはない……誰にも勧められない」と書き送ったのは、ジョン・ウォーカーでした。

覚えていてください

牧師がひざまずいて「神よ、私たちを覚えていてください」と祈ると、会衆も「主よ、私たちを覚えていてください」と続きました。このアフリカの教会の光景をネットで見ていて、涙がこぼれました。これは最近の礼拝でしたが、昔、教会で同じ光景を見ました。私は子どもだったので、神さまも忘れてしまうことがあるのだと誤解したのです。しかし、神は全てをご存じで(詩147:5、Ⅰヨハ3:20)、私たちに常に目を留め(詩33:13-15)、このうえなく愛してくださいます(エペ3:17-19)。

アイデンティティー

その人はまず、道具箱を選び、そして釣り道具一式を選んでレジに行きました。店主が釣りの経験を尋ねると、ないと答えたので、救急セットも購入するように勧めました。その客は、支払いを済ませて釣りに行きましたが、まったく釣れず、釣り針で指を切っただけでした。

ひとりじゃない

南カリフォルニアのキリスト教団体のオンライン研修会にログインしました。参加者が挨拶を交わす中、コロラドから講師として参加した私は、知らない人ばかりの中で、よそ者のように感じました。しかし、私の教会の牧師や旧知の友人の顔がスクリーンに表れると、もうひとりではありません。神が助けを送られたようでした。

声を上げる時

ある黒人女性は、キリスト教団体で30年間、誠実に働いていましたが、同僚は人種差別問題に話が及ぶと、皆、黙り込みました。しかし、2020年の春、この問題が世界中で公然と語られると、ついに彼らも話し始めました。彼女は複雑な心境でしたが、とりあえず前進だと思いました。しかし、今までの沈黙はなぜと不可解でした。

柵を動かす

第二次世界大戦中のこと。その牧師は寝付けませんでした。戦死した仲間を埋葬してほしいと数名の兵士たちがやって来たのですが、教会墓地に埋葬するのは教会員だけだと答えました。すると彼らは、友人を墓地の柵の外に葬りました。しかし、翌朝、仲間の墓が柵の外にありません。牧師は言いました。「ここです。昨日言ったことを後悔したので、深夜に起きて、柵を動かしたのです。」

知恵は喜びにつづく道

電話が鳴ってすぐに応答すると、教会で最年長の人からでした。年齢は100歳近くになる元気な働き者の女性です。自分の本を仕上げるために、執筆に関する質問をしてきたのです。しかし、私はいつものように逆に質問していました。人生について、仕事、愛、家族について尋ねました。長い人生から得た多くの教訓は、知恵の宝庫でした。彼女は「一歩、一歩ね」と言いました。そして、彼女は自分がそれを忘れてしまった時の話をして、ふたりで笑いました。彼女の数々の話は、いつも本物の喜びの香りがしました。