ジョシュア・エイブラハム・ノートンは、1859年、自分は米国の皇帝だと宣言しました。高貴な身分を求めてサンフランシスコの夕刊紙に「ノートン皇帝」の布告を掲載すると、大半の人が笑いました。一方、彼は社会問題に取り組み、独自の通貨を発行し、英国のビクトリア女王に求婚し、両国を併合しようと手紙を送りました。皇帝風にあつらえた軍服を着ていて、どこから見ても国王に見えたそうですが、もちろん違います。誰も自分の身分を仕立てることはできないからです。

人は己の価値や自分らしさを発見しようと葛藤します。本当の自分など神に教えてもらわなければ分からないのに、「こうだ」とか「ああだ」とか、自分を定義しようと何年も苦闘します。

ところが、聖書は「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」(ヨハ1:12)と語ります。この身分は真に贈り物です。神に愛された「人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである」(13節)と聖書が語るとおりです。

神は、私たちに名前を与え、キリストによる自分らしさを下さいました。自分を人と比べるのはやめましょう。なぜなら、神があなたにあなたらしさを下さったのですから。