寄稿者

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Winn Collier

Winn Collier

ウィン・コリエ氏は、ミシガン州ホランドに家族と住んでいます。 25年間牧師として神に仕えています。ウェスタン神学大学院の教師、ユージン・ピーターソン・クリスチャン・イマジネーション・センターのディレクターも務めています。友人との時間を大切にし、フェアトレードのコーヒー、良質な映画と本、山、問答、森林散策などが好きです。体裁を気にすること、恐れ、不正などは嫌いだと言います。お気に入りのカフェが近所にないことも嫌なことに挙げられると言います。雑誌の寄稿者でもあり、5つの著書(Restless Faith, Let God: The Transforming Wisdom of François Fénelon, Holy Curiosity, the epistolary novel Love Big, Be Well, and A Burning in My Bones: The Authorized Biography of Eugene Peterson.)があります。

寄稿一覧 Winn Collier

キリストにある自由

その男性は、1849年、「衣類」と記された木箱(約90×75×60cm)に身を潜め、2人の協力者によって、バージニア州リッチモンドからフィラデルフィアに送られました。空気穴三つの箱の中で26時間過ごした人の名前は、ヘンリー・「ボックス(箱)」・ブラウン。奴隷制度廃止論者たちに箱から出されると、詩編40編をもとにした歌で、自由を約束する神に託した希望を表しました。後に、「もし、私のように自由を奪われた経験がないなら、自由に対する希望の力を認識することはできない。それは私にとって、決して揺るがない、まさに魂の錨(いかり)だった」と書いています。

神に協力する

タリバンがアフガニスタンを制圧した2021年、多くの人が逃げ惑いました。それを見て行動を起こした普通の人もいます。例えば、ある青年は、国外脱出用のチャーター機の費用10億円相当を募るキャンペーンをSNSで行いました。彼は取材に「私たちは、政治的な違いを捨て、年齢・人種・宗教・社会的立場などに関係なく団結して、あの人たちを救いたいのです」と語りました。彼らは、騒然とした渦の中に飛び込むことを選んだのです。

すがすがしい気前の良さ

アルバート・アインシュタイン医科大学の講堂を埋め尽くした医学生たちは、90歳のルース・ゴッテスマンの話を熱心に聞いていました。ルースは、講演を締めくくるにあたり、在学生たちが卒業まで学費を払わなくていいように10億ドルを寄付すると公表しました。医科大学への寄付としては過去最高です。会場はどよめきと歓声に包まれました。しかし、講演後、ルースはまるで、彼女の方が贈り物をもらったように喜んでいました。彼女は寄付できて光栄だと明るく語りました。

心の驕りと破滅

ジョン・テイラーは、18世紀のイギリスの眼科医です。著名人に目をつけ、名医と自称し、ジョージ2世の専属眼科医になりました。各地を巡回し、奇跡を約束して手術を執刀すると、夜闇に紛れて姿を消しました。村人たちからかすめ取った金で膨れ上がったカバンを持って……。

小さくても大きいもの

ナスダック株式市場の取引が一時的に停止しました。1987年12月9日、コネチカット州にある送電線をリスがかみ切ったせいです。世界の巨大企業は、ぼうぜんと立ち尽くすだけでした。たった一匹の小さな動物のせいで、世界経済は、約1時間半、ひやひやしながら状況を見守るだけでした。

見えないものを信じる

米国の広大なセコイアの森は、19世紀末までほぼ未踏の地で、巨木の存在を信じない人も少なくありませんでした。しかし、1892年、4人の木こりが、カリフォルニアのビッグ・スタンプと呼ばれる森に入り、巨木を13日かけて切り倒しました。その樹齢1341年、高さ90メートル、幹回り15メートルの木は、マーク・トウェインと命名されました。現場にいた一人は「形も堂々として美しく、森の中で最も完璧な木の一つ」と称賛したそうです。木の一部はアメリカ自然史博物館に運ばれ、人々はセコイアを鑑賞しました。

主を待ち望む

内戦が勃発し招集令状が届いた時、その人は「故国や同胞を傷つけることに一切関わらない」と決意して出国しました。しかし、適切なビザを持っていなかったために、到着した国の空港で足止めされました。空港職員は、数カ月間、食べ物を差し入れました。彼は希望にすがりつき、ターミナルでのつらい生活、自作の編み物の画像をツイートし、それを何千人もがフォローしました。やがて、この人の苦境を知ったカナダのある町の人々が資金を集め、彼を亡命者としてカナダに入国させ、仕事と家を見つけてあげました。

闇からの救出

タグボートがナイジェリアの沖合約30k mで沈没し、天地が逆さまの状態で海底に沈みました。乗員11人は溺れましたが、調理師のオケネはエアポケットを見つけ、救出を待ちました。口にできるものは1本のコーラだけ。2本の懐中電灯は最初の24時間で電池切れになりました。彼は丸3日、暗い海底の沈没船の奥で恐怖に震えていました。捜索のダイバーに発見された時は、希望を失いかけていました。

善をもって悪に打ち勝つ

主人公が動物と会話するドリトル先生の物語は、小説や映画、演劇を通して多くの人に愛されてきました。しかし、これが書かれた経緯はあまり知られていません。原作者のヒュー・ロフティングは、第一次世界大戦に従軍中、自分の子どもたちに送った手紙に、この物語を記しました。彼は後年、戦場のありさまは手紙に記すにはひどすぎたと語りました。この楽しい物語は、戦争の残忍さに抗うロフティングの創造的なアプローチでした。