ジョアンは傷つきました。教会の友人たちがレストランで楽しむ姿をSNSで見るのは、今月2度目です。彼女は確かに人付き合いが下手ですが、仲間はずれはあんまりです。そんな人たちの教会に行くなんて変だと思いました。

昔も同じでした。しかし、イエスは統合を望み、分裂を修復しようと来られました。ユダヤ人は、律法を知らないと異邦人を見下し、異邦人はユダヤ人の独善性を嫌っていました。そこでイエスは「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、……戒律ずくめの律法を廃棄されました」(エフェ2:14-15)。もはや律法ではなくイエスが中心です。

イエスは「遠く離れている」異邦人にも「近くにいる」ユダヤ人にも「平和の福音を告げ知らせられました」(17節)。同じメッセージですが、それぞれ別々の対応が求められます。自分が上だと優越感を抱くユダヤ人は、そうではないと、自分は下だと劣等感を抱く異邦人も、そうではないと、知らねばなりません。お互いに相手のことをうんぬんせずに双方をキリストにおいて「一人の新しい人に造り上げて平和を実現」(15節)することに専念すべきです。

仲間はずれにしたり、いじったりするのは、正しくありません。当然、傷つきます。しかし、だからこそ、イエスに憩い、平和を作る人になりましょう。イエスは今も、私たちの平和です。