神に迎えられる
マイアミ大学アメリカンフットボール部のシャーマン・スミス監督は、ディランド・マッカロー選手を息子のように愛しました。父親を知らなかったマッカローはスミスを敬愛し、彼のような人になろうと努めました。そして、20年以上が経ちました。生みの母を探し出したマッカローは「父親の名はシャーマン・スミス」と聞かされたのです。スミスは自分に息子がいたことに、マッカローは父のように慕った人が実父だったことに驚がくしました。
3人の王
英国王ジョージ3世は、ミュージカル「ハミルトン」の中で、狂った悪役として滑稽に描かれています。しかし、新しい伝記によれば、そのような暴君ではなかったようです。彼が残虐な独裁者だったなら、苛烈な焦土作戦で米国の独立を阻止したはずです。しかし、「進歩的で温厚」な気質だったので、そうはしませんでした。彼は後悔したかもしれません。もっと厳しくしておけばうまくいったかもしれなかったのにと。
神はあなたの名を呼ぶ
ナタリアは学校に行かせてもらう約束で外国に行きましたが、住み込んだ家の父親から身体的、性的な虐待を受けました。家事と子守りを無給でさせられ、外出も電話の使用も止められました。彼女は奴隷になったのです。
身を避ける場所
フィルとサンディは、難民の子を2人引き取りました。そのような子の話に心を動かされたからですが、空港から帰る途中の車内では沈黙でした。大丈夫でしょうか。この子たちは文化も言語も宗教も違うのです。しかし、彼らが「身を避ける場所」は、この夫婦です。
たましいの自由
彼らにパイロットの資格はありません。大学も卒業していません。ライト兄弟は空を飛ぶ夢と勇気を持った自転車の修理工でした。1903年12月17日、彼らのライト・フライヤー号は4回の飛行に成功。最長飛行時間はたった1分でしたが、世界を変えました。
敵に燃える炭火を積む
ダンは看守に虐待されていましたが、この人を愛しなさいとイエスが命じておられると感じたので、ある朝、殴られる前に、こう言いました。「この先、一生、毎日、会うのなら、友人になりたいです」。看守はごめん被ると言いましたが、彼は「ぜひ!」と、友愛の手を伸ばしました。すると看守は固まり、震え出し、ダンの手をぎゅっと掴みました。彼の頬を涙がつたい、「ダン、私はロゾックだ。友だちになりたい」と言いました。その日を境にロゾックが手を上げることはありませんでした。
今は空っぽ
私たち家族と弟たちは実家の引っ越しを敢行しました。午後遅くに最後の家財を運び出すと、もう戻ることはないと思い、裏庭のポーチで集合写真を撮りました。母が振り向いて「もう空っぽね」と言った時は涙がこぼれそうでした。この気持ちをどうすればよいのでしょう。54年間の家族の思い出が詰まった家が、今は空っぽなのです。私は考えるまいと、思考を停止させました。
イエスが答えだ
アインシュタインの愉快な話です。講演ツアーの運転手が、代役ができるほど講義を聴いたと言いました。そこで、アインシュタインは、顔を知られていない次の大学で試してみようと提案しました。運転手は同意し、やり遂げました。しかし質疑応答の時間に手ごわい質問が来ました。すると彼は「貴殿は優秀な教授とお見受けしますのに驚きです。私の運転手でさえ分かる単純なことを質問されるとは」と言い、その運転手、つまりアインシュタインが答えたという架空のお話です。
手放す
アウグスティヌスは自伝『告白』で、イエスを信じるまでの紆余(うよ)曲折を記しています。ある時、皇帝を褒めそやす演説のために宮殿に向かっていると、路上で物乞いが酔っ払って、冗談を言いながら大笑いしていました。自分は心にもないお世辞を言わなければならないのに、彼は大した努力もせず、ずる賢い仕事から得るうたかたの幸せを手にしていると思いました。それで成功のためにあくせくするのをやめました。しかし、情欲と性的不品行が、彼を捕えていました。罪と決別する決心無くしてイエスのもとには行けません。それで「わたしに貞潔と節制を与えてください、でも今すぐにではありません」と祈りました。