私が子どもの頃、アメリカ人の娯楽は野球でした。私も草野球に興じ、チーム名の入ったジャージを受け取った時は最高でした。私の背番号は9番。背番号は一人一人違いますが、同じユニホームを着れば、同じチームの選手だと分かります。
マタイによる福音書5章3-10節は「山上の垂訓」と呼ばれますが、そこでイエスは、天国は、その王の生き方や品性を身に着けた人たちで構成されていると言われました。つまり「キリストに似た」というジャージを着た人たちです。
イエスによれば、「幸いな人」とは、健康や豊かさなど外目に立派という人ではありません。判別基準は内面や心のあり方です。「心の貧しい人々」(3節)、それは、謙虚な人、己の霊性の貧しさを自覚している人。「義に飢え渇く人々」(6節)、それは、神に喜んでいただくこと、神に誉を帰することを切に望む人。「平和を実現する人々」(9節)、それは、画一性とは違う真の調和を追求するイエスの御業に加わる人。こういう人々が「幸いな人」です。
聖霊が助けてくだされば、私たちは「キリストに似た」という服を身に着けることができます。それによって、キリスト者だと判別され、神のチームの一員だと見なされます。そういう人たちが、実に幸いな者なのです。
山上の垂訓に照らして、あなたは神のチームの「ジャージ」を着ていますか。どの特長を祈り求めれば、もっとキリストに似た人になれますか。