助けることが助けられること

【プロフィール】

前島常郎(まえじまつねお)さん
長野県出身。高校生の時に宣教師の英語教室を通じてイエスに出会う。元宣教団体スタッフ。現在クリスチャン自死遺族自助グループ「ナインの会」世話人。3人の娘の父、3人の孫の祖父。

――まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

通っていた高校の近くで宣教師主催の聖書研究会に参加していたのですが、高校3年の夏に松原湖バイブルキャンプに誘われて、そこでイエス様を信じましたね。

20代半ばで結婚し、3人の娘が与えられました。三女は今、私たち夫婦と同居してます。次女は中国系アメリカ人と結婚して米国で生活しています。孫はみんな男の子で、日本語はあんまりできないんですけど「おじいちゃん、おばあちゃん」とは言ってくれます。

長女は大学を卒業して看護師として働いていたんですが、精神的な不調に悩まされるようになって。服薬しながら仕事を続けていたんですが、結局28歳で自分の命を終わらせるという決断をしてしまって……。2009年5月のことでした。葬儀に来られた上司の方によれば、仕事はちゃんとできていたそうですが、本人は「全然駄目だ」という気持ちだったようです。

長女の通っていた教会の牧師先生は前夜式やお葬式を司式してくださって、説教もしてくださいました。その先生とは、私がイエス様を信じる前から何十年もお付き合いがあったんですが、その時初めて、ご家族を自死で亡くした経験があると伺いました。

毎日一緒に暮らしていて「死にたい」って言葉を聞いていたんで、何とか止めなくてはということは家内も私ももちろん考えました。でも「お父さん、今日も仕事できなくて帰ってきた」って暗い顔して私の部屋に来ても、言葉が出ないんです。できることがないというかね。「どうしたの」っていう優しい言葉をかけることができなかった。そういう後悔がありますよね。

 

――娘さんを亡くされた悲しみの中で、どのような助けを求められましたか?

自分も同じことをするかもしれないっていう恐れがありました。「死にたい」とは思わなかったけど、するかもしれないっていう。家族を1人亡くすと「もしかして2人目も……」って考えてしまう。でも、じゃあどうしたらいいかがわかりませんでした。

長野県の主催で看護師や保健師が運営する会に1、2度行ってみましたが、いまひとつしっくりきませんでした。そんなときネット上で、息子さんを亡くされた田中幸子さんという方の体験談を見つけたんです。しかも「お話を聞きます」と家の電話番号も携帯番号も公開しておられました。もちろん面識はないし、クリスチャンでもないんですが、お話してみようと思って電話しました。「実はこういうことがあって……」とお話したら、田中さんは「うん、うん、そうなんですね」と私の言いたいことを全部聞いてくださった。そして、ご自分のこともお話ししてくださった。現役警察官だった息子さんを30代半ばで亡くし、もうお嫁さんを殺して自分も死ぬつもりで包丁を研いでいたそうです。仏壇にお香を投げつけて「ばか野郎、なんで死んだんだ!お前のおかげでうちはめちゃくちゃだ!」って叫んだとか。私はそういう話を聞いて「同じ自死遺族じゃないとわからない、でもこの人は確かに私の思いをわかってくれる」と感じることができた。2時間半ぐらいお電話しました。

その時「長野県からもたくさん電話がくる。でも長野にはまだ遺族会がないから、前島さんが始めてくれませんか」って言われたんです。遺族会なんて出たこともやったこともない。でも行政の遺族会で出会った何人かに声を掛けたら「是非やりましょう」ということになって。娘を亡くして半年後の11月、松本市で最初の会を開きました。それ以降2カ月に1回、長野市と松本市で集まりが続いています。そちらは宗教的なことは一切触れないんですけど。

 

――クリスチャン自死遺族会はどのように始まったのですか?

全国自死遺族フォーラムっていう大きな勉強会が毎年あって、何回か出席するうちに、クリスチャンの方も何人かおられることがわかってきました。その中のある方に「ちょっと相談がある」と言われたんです。

ご主人を亡くされた方だったんですが、アメリカでクリスチャンになったということで、向こうの牧師先生に「遺族会でとても助けられている」ってお話されたそうです。そしたら、その牧師先生に「それは素晴らしいことですね、でもそういうクリスチャンが一緒に礼拝して、イエス様の前で悲しみを分かち合えたら、もっと素晴らしいですね」と言われたそうです。私が牧師をしてたことがあるっていうのは別に隠してはいなかったので「前島さん、旗振り役をやってくれませんか」って言われて。当時、全国で他に3人の自死遺族クリスチャンの方を知っていたので連絡したら、みんな賛同してくださいました。それで、日本の真ん中が集まりやすいかなと、名古屋市にある東海聖書神学塾の一室をお借りしました。

クリスチャン新聞などでアピールしたら、世話人5人に加えて名古屋近辺の方が5人参加してくださいました。10人入ると身動きが取れないような狭い部屋でしたが、そこで分かち合いとお食事、そして礼拝を共にしました。沖縄から来てくださった自死遺族の牧師先生が、イエス様が息子を亡くしたナインのやもめにかけられた「泣かなくても良い」(ルカ7:13)という優しい言葉から説教してくださいました。2014年7月のことです。

「これからも続けましょう」っていうことで、その時の聖書箇所から「ナインの会」としました。コロナ前は東京、名古屋、大阪と年に3回集まってました。今はオンラインでの集いの機会も作っています。

 

――心に痛みを抱えながらも、そのようなグループを運営されているのですね。

「ご自身がつらいのにもかかわらず、よく他の人を世話されますね」って言われたりしますけど、助けることが助けられることっていう実感があるんです。自分に必要だからやってるんだと思ってます。そういう自助グループに関わっていないと、自分もどうなっちゃうかわからない。特に1、2年目はそういう感覚が強かったです。

「新婚の妻に死なれちゃって、どうしたらいいかわからない、もう情けない……。」そんな言葉には誰も答えられません。だけど「どうしたいいかわかりません」っていう、その言葉を聞いてくれる場所はここしかないって、みなさんおっしゃるんです。何かアドバイスを求めてはいないんです。何も言わなくても、その場にいるみんなが同じ経験をしてるっていうのが、何か救われるんですよね。

「傷をなめ合って何の役に立つのか」って批判をする方もいらっしゃるそうです。でも田中さんに「いや、傷はね、なめ合うと癒やされるんだよ」って言われて、なるほどと思いました。とにかく正直に自分を出せる場であるということが、何よりも大事なのかなと思うんですね。評価しない、遮らない、比較しない、話したことがそのまま受け止められる場を作り続けていきたいと、世話人として気を付けています。

 

――娘さんが亡くなるというのはとても大きな事だと思いますが、一方で前島さんの全てが自死遺族ではないと思います。それ以前から続いている、ご自身の他の面についても少しお話いただけますか?

やっぱり、クリスチャンである自分はずっと続いてますね。日曜日の朝になれば条件反射的に礼拝だってなる。

実は娘を亡くす数年前から、他の方と私の自宅で礼拝をするようになっていたんです。娘が亡くなってから「まだ礼拝を続けるんですか」って聞いてこられた方がいました。私は、娘を失ったから礼拝をやめるとは考えもしませんでした。「続けますよ」ってお答えして、その後もおいでになりました。

神様をまったく恨まなかったかと言えばそんなことはないけど、神様を信じる信仰は変えようがない。娘が幸せだから信じてるわけではない。自分がどうしても救われなければならない罪人だと教えられたからイエス様を信じた。そこには何の変わりもありません。クリスチャンでよかったなあと思います。

またある時、長野の遺族会で「神様のことをもっと聞きたい」って言われたんです。「この会には感謝してるけど、私の本当の悲しみは神様じゃないとわからないから」って。その会では自分がクリスチャンだって話すことはあるけど、宗教活動は一切しないことにしているので、結局お近くの教会の牧師先生を紹介したんです。その方は結局そこで洗礼を受けられました。伝道しようと思って自死遺族のグループを始めたわけじゃないんですけど、不思議ですよね、そういう人に出会わせてくださるっていうのは。

あと私たち夫婦は以前から里親をしてきたんです。娘を亡くして「私たちは自分の娘も育てられなかったのに、人様のお子さんを育てるなんてふさわしくない」と相談したんですが、児童相談所の方に「前島さんがやる気であれば、お願いしたい」と言われて、続けてきました。

今お預かりしてる子は小学生。身体も大きくなってくし、もう言葉でも勝てませんね。2人とももう70歳を超えるので、来年度以降は継続しないつもりです。でも17年続けることができました。今後も若い里親の応援は続けたいと思ってます。

うちを通り抜けてくれた子どもたちはみんなうちの礼拝に出て、イエス様の言葉は聞いてるんですよね。いつか近くの教会を見つけてくれれば、と思っています。

 

――当事者ではない者が、自死遺族にどのように寄り添うことができるでしょう?

最初の頃はよく、自死遺族でない方に大きな花束を頂いたりしました。でも正直、何かをしてもらったというより、むしろ何もしてくれないことに助けられました。長年お付き合いのあるクリスチャンの方々と、娘が亡くなった後も、以前のように兄弟姉妹としての関わりを頂いている。それはすごく大きなことです。自死遺族は、「家族を亡くしてから世間の目が冷たく感じる」という被害妄想的な思いを抱きやすいですから。

自死遺族としては同じ自死遺族との分かち合いの場があって、そちらの方が話しやすいことも多いです。だから、どう寄り添ったらいいかわからなければ、そんなに寄り添わなくていいと思います。

私だっていつも「あの人は自死遺族だよ」って見られたいわけでは、もちろん全然ないです。夫や父、おじいちゃんとしての私もいるし、塾で算数や英語を教える前島先生でもある。あるいは、夕方に犬の散歩してる近所の人という私も、里親としての私もいます。全部を含めて私なので。

自死遺族の方が周りにいたら、自死遺族としてだけでなく兄弟姉妹、また隣人として関わっていただければと思います。



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大切な人を自死で失うということについて書かれた読み物

父の自死とそれからの私

自死遺族の著者が、遺された人がたどる悲しみや苦しみの道、その只中で神が共におられ、どのように生きていく力をくださるのかを、正直に丁寧に語ります。

インタビューに応えていただいた前島氏が世話人を務める「ナインの会」による監修翻訳。

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※当冊子を今回初めてお申込みいただいた方優先となります。
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※締め切りは9月30日、お届けは10月下旬となります。
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