「どうもMacです」「こんにちはパソコンです」というせりふで始まる、ユーモラスなCMを見たことがあるだろう。とても人気のCMシリーズだ。このシリーズが素晴らしいのは、MicrosoftとAppleという世界的な二大パソコン企業の熾烈(しれつ)な闘いをユーモラスに描写していることだ。

楽しく笑える広告の裏にも、非常に真剣な競争の世界がある。 実際、限られた資源をめぐる争いは、21世紀の私たちが直面する現実だ。

国際的にみると、石油や食物など主要商品を手に入れるために、各国が競い合うようになってきたのは明らかだ。以前は、ものの考え方や国境、生活様式などの違いが、いつも国同士の争いのもとになり、戦場での闘いにつながった。しかし、地球の資源が減っていく中、国家間の競争には新たな側面が表れてきた。

国内では、政治的な競争がある。ライバル同士が政権を取ろうとやっきになって戦う。国民の信頼を得て票を勝ち取るために、独自の政策の利点をあれこれと述べ立てる。選挙というものは、実に個人的感情に左右される厳しい競争の一例だろう。

各家庭の状況、つまり私たちの実生活に置き換えて考えてみよう。毎日のいろいろな場面で、競争が起こっている。例えば、就職活動、成績アップ、入試など、どれをとってもそこには競争がある。また、普段買い物をする店は、一円でも多くもうけるために競争している。それから、私たちは、注目を浴びたり、 好意や愛情を受けたりするために競争する。

私たちは、遊びの場でさえ競争している、草野球では、優勝トロフィーをめぐって競争する。

スポーツチームのファンたちもそうだ。よく考えてみれば、自分と自分のお気に入りのチームをつなぐ関係は単に住んでいる場所だけなのに、相手チームとの応援合戦がすさまじい闘いに様変わりしてしまうことがある。その一例が2008年、ニューヨーク・ヤンキースのファンが、ボストン・レッドソックスのファンとけんかになり、相手を車でひき殺してしまった事件だ。

日常生活において、 競争を無視することはできない。

そんな中で、私たちには、競争の準備ができているだろうか。日々激しくなっていく競争社会と向き合う準備ができているだろうか。競争の価値や利点、欠点、社会道徳的な問題点についてじっくりと考えるひとときを持ったことがあるだろうか。どうしたら、神にも人にも恥じることなく自信を持って、この競争社会を生き抜くことができるか、今こそ、考えてみるべきではないだろうか。Dave Branon

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