クリスチャンではなくても、『氷点』『塩狩峠』『道ありき』といった本を手に取ったことのある方も多いはず。

1963年、朝日新聞社による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の1000万円懸賞小説に『氷点』を応募した三浦綾子。これに一位入選し、1964年12月9日より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始したことから、彼女の作家人生は幕を開けました。

『氷点』は、1965年に朝日新聞社より出版され、71万部の売り上げを記録。大ベストセラーとなり、映画化もされています。

原罪をテーマにした『氷点』、一粒の麦の犠牲の愛を描く『塩狩峠』など、三浦作品には必ず聖書のメッセージが通奏低音のように織り込まれています。そして信仰があろうとなかろうと、読んだ人は「生きるとは?」「罪とは?」「愛とは?」といった普遍的な問いと向かわされるのです。

1922年、北海道旭川市に生まれた三浦綾子は、女学校を卒業後、7年間小学校の教員を務めますが、1946年に退職。その後肺結核にかかり、闘病中にキリスト教の洗礼を受けます。

『忘れえぬ言葉』を紐解くと、「何もかも信じられなくなって、しかしイエス・キリストの愛だけは信ずることが出来るという幸を私は得た」と当時の心境が綴られています。

1959年には、三浦光世さんと結婚し、1966年頃から光世さんとの口述筆記で三浦文学が生み出されるようになりました。

結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、1999年10月12日に多臓器不全により77歳で亡くなるまで、クリスチャンとしての信仰に根ざした著作を次々と発表してきた三浦綾子。その作品群は、今も手に取る一人ひとりの心を励まし続けています。

2001年7月には、「三浦綾子読書会」が東京で発足。その後全国に広がると共に、朗読の会、文学散歩ツアー、聖書の学び会、演劇、短歌の学び会やさまざまな特別集会など、多様な活動に取組み、2015年現在、国内外の約130か所で行われています。

また、1998年6月13日、全国のファンの募金によって建てられた三浦綾子記念文学館は、今も彼女が生涯を過ごした旭川にて、市民が運営する「民営」の文学館です。

三浦文学は、今も全国で、脈々と受け継がれているのです。

【参考文献】
『忘れえぬ言葉』三浦綾子/小学館文庫
三浦綾子読書会 http://miura-ayako.com/
三浦綾子記念文学館 http://www.hyouten.com/

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