恵みの賜物:神が新しい人生をくださる

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」—ヨハネ10:10

子供の頃の一番古いクリスマスの思い出は、カカオ農場と見上げるようなマホガニーや椰子の木々に囲まれて点在する小さな村々の記憶に遡ります。小学生くらいの子供たちは、両親がクリスマスに着せてくれた新しい服を着て、幼子イエスを探し求める東方の三博士のように、村から村へと歩き回りました(マタ2:1-2)。

みどりごイエスは、そこにはおられませんでしたが、村には親しみと善意が溢れていました。クリスマスの午後になると、母親たちが用意したご馳走の入った器を子供らが隣人に届けました。その村では、クリスマスとは、博愛の時を意味しました。

しかし、真のクリスマスの物語が欠けていたのです。楽しさや喜びが先行して、クリスマスの意味を考えもしませんでした。村に教会はなく、神が「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ3:16)というクリスマスのメッセージを伝えてくれる人もいませんでした。当事者抜きの誕生会を祝っていたようなものです。

それとは違って博士らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタ2:2)とイエスを何よりも探し求めました。そして遂に辿り着くと、「幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて…贈り物としてささげ」(11節)ました。最初に主を見つけ、拝んでから、贈り物をしたのです。

子供にとっても、大人にとっても、真実はひとつです。お祭り以上に、キリストこそがクリスマスの真意です。神の御子は、私たちが「いのちを得、またそれを豊かに持つため」(ヨハ10:10)にいらしたからです。 LAWRENCE DARMANI

イエスこそクリスマスを祝う理由である。


聖書のみことば:マタイ2:1-11

1イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。3それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。4そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。6『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」9彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

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