1995年1月17日、午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生。被災地を活動エリアとするコープこうべも、本部ビルや多くの店舗が倒壊したが、地震発生直後から、全国の生協から続々と支援の手が届き、「被災地に生協あり」と言われました。
この生協の生みの親が、キリスト者・賀川豊彦です。
1888年、賀川純一と徳島の芸者の間に、神戸市に生まれた豊彦。ですが、4歳の時には両親を失い、徳島の本家に引き取られます。16歳で、宣教師H.W.マヤス博士から洗礼を受け、19歳で、神戸神学校にて学びを、また同時に貧民街での活動も開始します。
26歳でプリンストン大学に留学した豊彦は、ニューヨークで労働者6万人が団結して資本家に対抗する社会運動の光景を目の当たりして、大きな衝撃を受けます。それは、「貧困を防ぐ社会の仕組みづくりこそが大切だ」と痛感する体験となりました。
帰国後まず取り組んだことは、神学校を卒業したハルとともに貧しい人々のための無料診療所の開設でした。
そして、1920年には、第一次世界大戦終結後の不況の日本で、人々が生活を守りあう消費組合「神戸購買組合」「灘購買組合」の創設に尽力しました。
そのような活動の合間にも300冊を超える著作を残した豊彦。テーマは宗教、哲学、社会、自然科学まで多岐に渡り、1920年に発表した自伝的小説『死線を越えて』は多くの人に感動を与え100万部を超えるベストセラーになりました。
そんな豊彦の思想は、「一人は万人のため、万人は一人のために」という社会の実現をめざしたもの。以下の7つの短い言葉で、表されています。
利益共楽―生活を向上させる利益を分かち合い、ともに豊かになろうとする。人格経済―お金持ちが支配する社会ではなく、人間を尊重した経済社会へ。資本協同―労働で得たお金を出資し合い、生活を豊かにする資本として活かす。非搾取―みんなが自由と平等で利益を分かち合う、共存同栄の社会をつくる。権力分散―全ての人が人間としての権利を保障され、自立して行動する。超政党―特定な政党にかたよらず、生活者や消費者の立場で考え主張する。教育中心―豊かな生活には、一人ひとりの教養とそれを高めるための教育が重要。
21世紀の日本においても、決して古びたようには感じない豊彦の思想。彼の思想には、これからの日本をも変えていくような躍動を感じます。
【参考文献】賀川記念館 http://core100.net/index.html生活協同組合 コープこうべ http://www.kobe.coop.or.jp/about/toyohiko/index.php『賀川豊彦』隅谷三喜男、岩波書店
【探訪場所】①賀川豊彦記念松沢資料館(東京都世田谷区)②賀川記念館(神戸市中央区)
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