予定が狂う
もう遅刻なのに「うそでしょう」と思いました。渋滞の警告が出ています。車の流れが次第に遅くなりました。もう笑うしかありません。私は、自分の予定に沿ってものごとが進むと思っていました。道路工事は想定外です。
どこに向かっているのか
人生の方向性を決めるのは何でしょう。その答えを、何と、バイクの免許取得コースで耳にしました。友人たちと一緒に免許を取りに行き「目標点凝視」と呼ばれる訓練を受けました。教官は言いました。「みなさんには予期しない障害物に出会う日が、遅かれ早かれやって来ます。そのとき、それをじっと見るなら、そのど真ん中に突っ込んでしまいます。しかし、目を上げて、その先の進むべき地点を見るなら障害物を容易に避けることができます。みなさんは、自分の見ている方向に進むのです。」
望みという戦略
私のひいきのフットボールチームは、現在、8連敗中です。負けるたびに、今季優勝の望みは遠のいていきます。監督は毎週のように戦略を変えて挑みますが、結果につながりません。私は、望みは結果を保証しない、戦略ではないのだから、と職場の同僚とジョークを言っていました。
歯医者さんで
息子の付き添いで歯医者さんに行き、父なる神の心を学ぶとは予想外でした。永久歯が乳歯の下から生えてきたのです。抜く以外に方法はありません。
突き刺さるトゲ
本能的に「イタッ」と手を引っ込め、うめきました。人差指にトゲが刺さり、血が出ました。当然です。園芸用手袋をはめないで、トゲのある木を剪定(せんてい)しようとしたのですから。
歌う御父
子どもが生まれる前、歌うことの大切さを教えてくれた人はいませんでした。今、私の子どもたちは6歳、8歳、10歳ですが、どの子も以前、寝つきが悪くて困りました。私たち夫婦は毎晩、早く寝てくれるように祈りながら、交替で子どもたちを抱いてあやしました。子守歌を口ずさみながら彼らを抱き、優しくゆすっていた時間は、何百時間にもなるでしょう。そして、子どもたちのために歌ううちに、愛情の絆が深まっていくという素晴らしい体験をしました。
神の道を歩む
私は幼い息子の肩に手をやりながら「こっちだよ」と言って、雑踏の中、妻と娘の後を歩くように促しました。家族で遊園地に行ったのですが、時間が経つにつれ、ますます息子から目が離せません。疲れてきたせいで、注意が散漫になってきたからです。私は少々うんざりしてきました。そのとき、ふと思ったのです。「これは私の姿ではないか。自分のしたいようにする誘惑に引かれて、神に従う歩みから、すぐにそれてしまわないだろうか。」
進行中、それとも完了?
月ごとに仕上げる仕事は「完了」のボタンをクリックして終わります。しかし先月、ふと思いました。「自分の信仰の未熟な分野も、こんなふうならいいのに。信仰生活は常に進行中で、決して完了には至らないなあ」と。
笑顔の人
食料品の買い出しは、しなければならないことですが、私には面倒くさく、好きな仕事とは言えません。しかし、この仕事の中に最近、思いがけない楽しみができました。スーパーでフレッドが担当するレジに並ぶと、彼は会計をショーに変えてしまうからです。いつも笑顔で、驚くような速さ。踊って、時には歌って、割れない商品をジャグリングのようにヒョイと投げて袋に入れます。彼は、この最も退屈に思える仕事を、明らかに楽しんでいます。彼の明るい雰囲気は、少しの間ですが、レジの列に並ぶ人たちの生活を明るくしてくれます。