寄稿者

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Alyson Kieda

Alyson Kieda

アリソン・キエダ氏は、35年余りの編集経験の持ち主で、デイリーブレッドの編集者として10年以上奉仕しています。キエダ氏は子どものころから物を書くのが好きで、デイリーブレッドの寄稿者の一員に加わったことを大いに喜んでいます。キエダ氏には成人した子どもが3人おり、今は孫が増えている最中だと言います。キエダ氏の趣味は読書、森林散策、そして、家族と過ごすことです。キエダ氏の母親が他のデボーション誌の寄稿者だったこともあり、母親と同じ道に進めて幸せだと語ります。

寄稿一覧 Alyson Kieda

イエスのもとに共に集まる

ある困難な状況があって、精神的にも信仰の面でも苦しんでいた時、教会から離れることは容易だったでしょう。何でそんなにこだわるの、と思うこともありました。しかし、日曜日礼拝を続けなければと思いました。その状況は、何年も続きましたが、信仰の兄弟姉妹と礼拝や祈り会、聖書の学び会に集うことは、忍耐と希望を失わないよう、自分を支える力になりました。礼拝説教や学びを通して心が軽くなるだけでなく、傾聴、慰め、ハグなど、その時々に必要だったものを与えてもらいました。

祈りの呼びかけ

リンカーン大統領は「私は何度となくひざまずき、他にどこに行けるでしょう、と祈らずにはいられなかった」と友人に打ち明けたそうです。彼は、壮絶な南北戦争の最中、自分が真摯(しんし)に祈るだけでなく、それを国民にも求めました。1861年には「へりくだり、祈り、断食する日」を宣言しました。そして、1863年に再度の布告を行い、「神の統べ治める力に頼らざるを得ないと認めることは、国家と国民にとっての義務である。それは己の罪とがをへりくだりと悲しみと共に告白する一方で、純粋な悔い改めは神の慈悲と赦(ゆる)しにつながると確かな希望をも告白することだ」と述べました。

試練を乗り越えて

アンの幼少期は極貧で悲惨でした。2人の赤ん坊の兄弟を亡くし、 5歳で目を患い視力をほぼ失いました。8歳で母を結核で亡くし、兄弟と共に父に捨てられました。貧民窟のような救貧院に入所し、そこで弟を亡くしました。

素晴らしい成果

コリーンはスクールバスのバス停まで子どもたちを迎えに行きますが、毎日違う仮装をしたり、仮面を付けたりしています。始めてもう3年になりますが、皆が明るい気分になります。運転手は「バスの子どもたちは大喜び。ほほえましいかぎりです」と語ります。コリーンの子どもたちも嬉しそうです。

庭で

父は、神の造られた自然を愛し、キャンプや釣り、石の収集などを好みました。また、庭いじりも楽しみました。しかし、これは重労働です。枝の剪定(せんてい)や、土起こし、種植えや苗植え、草抜き、芝刈り、水やりと、膨大な時間を費やします。しかし、手入れの行き届いた芝生、おいしいトマト、美しいバラなど、十分に価値がありました。バラは毎年、強剪定します。すると翌年には、より美しく、かぐわしく成長しました。

親切な行い

バレリーは流産で子を失い、ずいぶん経ってガレージセールをしました。地元の木工職人のジェラルドはそこでベビーベッドを買いましたが、セールの背景を知りました。そして、そのベッドで子どもの形見の品を作ってあげようと思いました。翌週、彼は美しい長椅子を贈りました。「世の中捨てたもんじゃないわ」とバレリーは言いました。 「こんな親切な人がいるのだから」

落胆の取説

オクラホマ州のある高校生たちは「一生に一度」の卒業旅行のためにお金を貯めてきました。ところが、航空券を買った会社が架空の会社と空港で分かったのです。学校関係者は胸が張り裂けそうだと言いました。しかし生徒たちは、腐らずに最大限に楽しもうと決意して、チケットを寄付してくれた近場の遊園地で2日間を過ごしました。

あなたは何を選びますか

ニュージャージー州の水泳インストラクター、アンソニーはニューアーク湾に沈んでいくSUV車を見つけ、「助けて!」と中から叫ぶ声を聞きました。岸辺に野次馬が群がっています。アンソニーは岩場の端に駆けつけると義足を外して飛び込み、68歳の男性を車から脱出させ岸辺まで連れ帰りました。彼の決断力と行動力が1人の命を救ったのです。

笑いという頂き物

コメディアンのジョン・ブラニアンは語りました。「笑いを発明したのは人間ではない。笑いは(神に)もらったものだ。人生を生き抜くために笑いは必要だと神は知っておられた。人生には苦難、悩み、また、何かが起きることもある。笑いは頂き物なんだ」