福音伝道
エリオットは、南アジアのある国で、牧師研修会の講師としてテモテへの手紙二を教え、使徒パウロの訓戒に沿って牧師を励ましました。パウロのように福音を恥じることなく語り、苦難や迫害を甘んじて受けなさいと勧めました(1:8-9)。数日後、エリオットは、その国でキリスト教の伝道活動や改宗が禁止されていると知らされ、研修会の参加者たちが危険から守られ、ひるまず、あきらめず、宣教できるようにと祈りました。
わたしに倣いなさい
父が釣り糸を水面に投げると、2歳のトーマスもおもちゃの釣りざおで真似をしました。浅瀬に行くと、今度は、釣った魚を湖に返す父のまねをしました。トーマスは、彼のさおの先にかかった水草を湖に返しました。その時は毎回、自分の「獲物」を褒めてもらおうとまず父に草を見せ、その後で、それを水に戻すのでした。
現代のパウロ
ジョージ・バウワーは、1957年、ビリー・グラハム伝道集会でキリスト者となり、人生が激変しました。すぐにOM(オペレーション・モビライゼーション)という宣教団体を始め、1963年にはヨーロッパに2千人の宣教師を送りました。OMは毎年数千人の宣教師を派遣し、20世紀最大の宣教団体となりました。2023年、バウワーが天に召された時点では、134カ国から3千人以上が働き人として147カ国で活動し、OMとの関わりをきっかけに設立された宣教団体は、300近くありました。
天の父の愛
キムはパパが来るのをワクワクして待ちました。しかし、夕方になり、夜になると、その期待はしぼみました。また裏切られたのです。両親の離婚後、キムは別居の父と過ごす日を楽しみにしていました。それなのに「パパにとって、私は大切じゃない」と思うことが度々起こるのです。
ああベツレヘムよ
讃美歌21 267番「ああベツレヘムよ」は、米国の牧師フィリップス・ブルックスがベツレヘムを訪れた感動をもとに作られました。彼は遠く離れた日曜学校の子どもたちに次のように書き送りました。「クリスマスイブに、イエスがお生まれになった場所に近いベツレヘムの古い教会にいました。神をたたえる賛美が教会全体に何時間も響いていました。その歌声の中に、救い主のお生まれになった素晴らしい夜を互いに告げ知らせている皆さんの声が聞こえるような気がしました」
祖母の信仰
夕飯の時、9歳の孫が「僕、おばあちゃんみたいだね。本が好きだもの」と笑顔で言いました。昨年、病気で学校を数日欠席した時、彼と私は並んで座り、一緒に本を読みました。私の読書好きも、母から受け継いだものです。
他人事
孫たち四人がプラレールで遊んでいましたが、下の二人が機関車の取り合いを始めました。8歳の兄が仲裁に入ろうとすると、6歳の妹が「放っておきなさいよ」と言いました。一般的には良いアドバイスです。しかし、誰かが泣き出すと、おばあちゃんが出動します。口論している二人を離し、落ち着かせます。
純粋な親切
母がホスピスにいた時、看護師の素朴な親切に感動したことがあります。彼女は弱った母を椅子からベッドに移すと、かがんで母の頭をなでながら「あなたはとても素敵ですよ」と言いました。そして私に「お元気ですか」と声を掛けてくれました。彼女の温かさに涙があふれ、今、思い出しても目頭が熱くなります。
信仰によって踏み出す
神を信頼して「水に足を踏み入れる」ことについて講師が語りました。ある国の牧師は、新たな法律が制定された後も神を信頼して聖書の真理を語ることを選んだそうです。彼は差別罪で30日間拘留されました。しかし裁判所は、彼には聖書を「私的」に解釈して、それに従うように人々を促す権利がある、という判決を下したのです。