物惜しみしない愛
孫の11歳の誕生日をレストランでお祝いしました。息子が誕生日の子に「何が食べたい?」と尋ねると、「サーモンがいいけど、高すぎるね」と答えました。すると息子は「今日は誕生日だから、それが食べたいなら、それを頼もう」と言ったのです。孫は大喜びでした。
私の隣人とは
高齢の女性が、熱い日に道で転倒し意識を失いました。数人が立ち止まり、119番に電話をしたり、自分の服を彼女の枕にしたり、脇の下を冷やしたり、日傘をさしてあげたりして、救急車の到着を待ちました。動画を投稿した人は、年齢や性別、人種を超えて、人々が救助のために協力していて、心温まる光景だったと書きました。
イエスにある喜び
おぼろげに分かっても完全には把握できない。そういうものに恋焦がれたことがありますか。C.S.ルイスにとって、それは喜びでした。「今は切り離されていると感じられる宇宙の何物かと、再び一つになりたい。常に外側から眺めてきたあの扉の内側に入りたい。そんな願いは……人の姿を如実に示す指標のようだ。遂に、内側に召し入れられると……古傷の痛みは癒やされるだろう……全人として、その喜びの泉から喜びを飲むようになるのだ」と述べています。
グッド・フライデーの起源
英語では受難日をグッド・フライデーと呼びます。その日は悲しい日のはずで、ドイツでは、悲しみの金曜日と呼ばれます。それなのに「グッド」です。その起源は何なのでしょう。神の金曜日、ゴッド・フライデーから派生したと信じる人もいます。
共に生きるために造られた
夫アランが大学院に進むことを決めて、夫婦でフィラデルフィアに転居する予定でしたが、私の就職先は未定で、家賃や生活費の不安がありました。ところが、出発前のある日曜日、教会の知人が、その学校の卒業生を紹介してくれて、彼から安価なアパートを紹介されました。また、職場の同僚が求人の可能性がある企業の連絡先を教えてくれました。神は人を介して私たちの祈りに答えてくださいました。家族や友達は、引っ越しの手伝いをしてくれ、祈りと共に私たちを送り出してくれました。
気を付けて!
フランクは何年も祈り、もがき苦しみ、ついに断酒しました。毎日、神が支えてくださるから、しらふで過ごせると言います。ただ、自分でも注意を怠りません。家にアルコール類を置かない、感情や思考のセルフケアをする、ある種の状況に用心するなどです。神に頼ることと、誘惑や罪を招き寄せないように、隙を作らないことを学んだのです。
神の慰め
食料品の買い出しから夫婦で戻ってきて、ドーナツの袋を必死に探しました。買ったつもりなのに見つかりません。レシートを確認すると買い忘れています。私はイラついて「もう! ドーナツを買いに行ったのに!」と叫びました。15分後、夫がドーナツの袋を手渡してくれました。そっと家を抜け出して、大雪の中、買ってきてくれたのです。私はばつが悪く、彼をハグして、「私のわがままのために事故に遭わなくてよかったわ」と言いました。
イエスの御名によって
ボロボロの靴と「助けてください」と書いた段ボールに目を留めたジョギング中の年配の男性は、サイズが同じと判断すると、自分のスニーカーと靴下を脱いで彼に手渡し、裸足で帰路につきました。また、こう説明することも忘れませんでした。「私は、今まで神に祝福されました。ですから、あなたを祝福すべきだと思ったのです」
主の恵みを数えよ
若い頃、聖歌604番「望みも消え行くまでに」が大好きでした。「望みも消え行くまでに 世の嵐に悩むとき 数えてみよ主の恵み なが心はやすきを得ん」結婚後、落ち込んだ夫に頼まれてこの歌を歌ったことが何度もあります。そういう時は、彼に注がれている恵みを一つずつ一緒に数えました。すると、彼は意識の中心を、自分の問題や自分の能力に対する不信ではなく、神と神に感謝すべきもろもろのことにシフトすることができました。