もしあの時、知っていたら
通勤の車で「親愛なる若い私へ」という歌を聴きました。その歌は、今の自分が昔の自分に会いに行ったなら何と言いますか、と優しく問いかけます。私は、今ほど賢明ではない若いときの自分に伝えたい知恵や警告を、いくつか思い浮かべました。もう一度やり直せるなら…と、人生のある時点で考えたことの無い人がいるでしょうか。
ちょっとした楽園
書斎の窓を開くと、鳥のさえずりが聞こえ、そよ風に揺れる木々が見えます。近所の畑には干し草の束がいくつも並び、抜けるような青い空に大きな白い雲が浮かんでいます。私は今、ちょっとした楽園を楽しんでいます。絶え間なく行き交う車の騒音と、腰の痛みを除けばの話ですが…。
悲しみから喜びへ
ケリーの出産は異常分娩になりました。しかし大変な難産の末、無事に産まれた息子を抱くと、彼女は痛みを忘れてしまいました。苦しみが喜びに変わったのです。
着る
著書『神を着る』の中で、ローレン・ウィナーは、服装は、地域や職業、個性、雰囲気、社会的地位など、その人を語ると言います。スローガン入りTシャツ、背広、制服、作業着などは良い例です。彼女はまた「装いが語るように、無言でイエスを語れる」という考え方は素敵だと言います。
喜ぶ心
孫のモリアの大好きな曲は、ジョン・フィリップ・スーザの行進曲です。スーザは19世紀末のアメリカの作曲家で「マーチ王」と呼ばれました。モリアは一歳半の女の子ですから、ブラスバンド部に属しているわけではありません。ただこの曲が大好きで、ハミングできる部分さえあります。家族が集まると、手を叩いたり陽気な音を出したりしてこの曲をハミングするので、彼女は、これが楽しい音楽だと分かっています。孫たちは踊ったり、輪になってぐるぐる行進したりして、最後には目を回してふらふらになり大笑いしたりします。
とてもよい!
ひとつのテーマが流れているような日が続くことがありませんか。私は最近、そのような経験をしました。まず、日曜日の礼拝メッセージは創世記1章からでしたが、牧師は花が開いていく様子を2分間に凝縮した美しい映像を見せました。家でソーシャルネットワークを開くと、様々な人が花の写真を次から次へとアップしていました。後日、森を散歩すると、エンレイソウ、リュウキンカ、野生のアイリスといった春の野花が美しく咲きみだれていました。
ともに過ごす
親戚の結婚式から車で二時間かけて帰る道、母が仕事はどうかと尋ねました。この質問は三度目です。そのたびに、初めて聞かれたかのように同じ答えを繰り返しながら、どうやったら記憶に留めてもらえるかと考えていました。母はアルツハイマー病で記憶力が落ちています。いずれは、行動にも影響が出て話すことさえできなくなるでしょう。
嫉妬につける薬
週初めにふたりの孫の世話を引き受けました。私は、やってきた孫たちを抱きしめて「週末は何をしたの?」と尋ねました。3才のブリッジャーは息をはずませて、叔父の家に泊まってアイスクリームを食べ、メリーゴーランドに乗り、映画を見たと言いました。ふたりは別行動だったと聞いていたので、5才のサムエルにも尋ねると「キャンプ」と言いました。「楽しかった?」と聞くと、「普通」とそっけなく答えました。サムエルは「となりの芝生」体験をしたのです。弟が嬉しそうなのに嫉妬して、父とのキャンプが楽しかったことをすっかり忘れていました。
キャンプで読む詩篇
私たち夫婦は野山を散策し草花を至近距離から撮影します。それらは驚くほど多様で美しく、まるで世界を顕微鏡で見ているようです。キノコにも驚かされます。それは一夜にして地面に現れ、色彩豊かな点々で森を明るく彩ります。