思いがけない親切
友人がスーパーのレジに並んでいると、前の人が10ポンド(1500円)の割引券をくれました。寝不足で疲れていたせいか、彼女は不意の親切に泣き出し、今度はそんな自分がおかしくて笑ったそうです。思いがけない親切は、疲れ切った心を潤し元気をくれました。そして、赤の他人を通して良くしてくださった主に感謝しました。
落穂拾い
タンザニアの友人ルツの夢は、首都ドドマの荒れ地を再生して、夫に先立たれた女性たちが自活するための農場を作ることです。困窮した人たちの自活を助けるという彼女の夢の基は、神に対する愛です。また、自分の名前はルツ記に由来しているのだから頑張らなくては、とも思っています。
神の手のひらに刻まれた
チャールズ•スポルジョンは1800年代、ロンドンの教会で長い間、牧会していましたが「わたしは手のひらにあなたを刻んだ」と語るイザヤ書49章16節から何度も説教を取り次ぎました。彼は「このようなみことばは、何百回も説教されるべきだ」と言いました。「神の手のひらに…」という真理はあまりにも素晴らしく、私たちにとって、何度も何度も思い返すべきメッセージだからです。
岩の上の家
友人が数年前に買った家のリビングが沈み、壁にひびが入り、窓は開かなくなりました。手抜き工事で建て増しされ、土台が無いことが分かりました。土台を敷く数か月間の工事の後、完成した家を訪問すると、壁のひびは消え、窓は開きましたが、見た目に違いはありません。しかし土台が肝心ということは明白です。
イエスにお目にかかりたい
ある女性の告別式で説教壇から祈りをささげていると「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」(ヨハ12:21)と記した額が目に入りました。今、見送る人の人生に、私たちがイエスを見ていたことを思い出し、何と相応しいみことばかと感動しました。彼女の人生には困難も挫折もありましたが、その信仰は揺らぎませんでした。神の御霊が彼女の内に住んでいたので、私たちは彼女にイエスを見ました。
理解し難い神秘
友人と散歩をしながら、聖書のみことばに祝福されるという話をしていました。しかし、友人が「でもね、旧約聖書はあまり好きではないの。難しいし、報復したりするでしょ。イエスはどこに行ったのって思っちゃう」と言うので、私は驚きました。
悲しみのトンネル
親友を交通事故で亡くしたのは19歳のときでした。それから数か月間、悲嘆にくれて生きていました。前途洋々とした年若い友を失った心の痛みで、周りのことが目に入らないこともありました。辛くて悲しくて、神さえ見えなくなりました。
最高の贈り物
実家で休暇を過ごし、ロンドンの自宅に戻る荷造りをしていると、母が自分の指輪を持って来ました。プレゼントだと言うので「どうして?」と尋ねると、「あなた、この指輪がずっと好きだったでしょ。そろそろ似合うと思うわ。もう私の指には合わないし、私が死ぬまで待つことはないわ」と言いました。それは思いがけない贈り物でしたが、母の少し早い形見分けです。私は喜んで受け取りました。
扉を開ける
ジョナサンは脳性まひで生まれ、話したり、思いを伝えることができませんでした。しかし母親のシャンタルはあきらめませんでした。そして息子が10歳の時、目とアルファベット表で会話する方法を見つけました。「扉が開きました。彼に何でも聞けるようになったのです」と彼女は語ります。現在、ジョナサンは目を使って読み書き、そして詩を書くこともできます。家族や友だちと話せるようになった感想を聞くと「みんなを愛しているって伝えられるから嬉しい」と答えました。