いつまでも神の子ども
教会で両親と共に礼拝をささげ「主の祈り」を唱和したとき、いつもの習慣で手をつなぎました。片方は母の手、もう片方は父の手をしっかり握って立っていると、突然、自分はいつまでもこのふたりの娘だという感動が、胸に迫ってきました。私は、もう中年と呼ばれる年齢ですが、今でも「レオとフィリスの子ども」と言われます。そのとおりです。そして私は、いつまでも神の子どもでもあるのです。
使者
ある会議に出席しているとスタッフが「伝言です」とメモをくれました。何だろうと緊張しましたが「甥っ子ができた」と書いてあったので、吉報でした。
クリスマスのラブレター
毎年、クリスマスに妻に手紙を送る友人がいます。一年を振り返り、将来の夢を記します。とても愛していると伝え、なぜそうなのかを語ります。彼は、娘たちにも手紙を書きます。記憶に残る素敵なプレゼントです。
隠された奉仕
学会関係の仕事の締め切りが迫って焦っていると、3人の友人から励ましのメールが来ました。どの人も「今日祈っていたら、あなたのことが示された」と言います。私は畏れ多く、また嬉しく感じました。彼女たちは私の状況を知りません。神がご自身の愛を伝えようと彼女たちを用いられました。
狐を捕らえる
海辺に住む友人と電話で話していると、カモメの鳴く声がバックに聞こえました。私が嬉しそうにそう言うと、彼女は「イヤな生き物」と答えました。海辺の住人にとってカモメは厄介な存在です。それと同じように、ロンドンの住人はキツネを疎ましく思います。私にとって、キツネは、そこらをうろついて臭い糞を残していく動物です。
旧約聖書の雅歌に「狐」が登場します。雅歌は夫婦の愛を表現していますが、それは神と神の民の愛だと解説する学者もいます。花嫁は「狐や小狐」を捕まえてくれるようにと夫に頼みます(2:15)ぶどう畑の実を求めて柔らかい木を引っかき回すかもしれないので、そのように頼んだのです。花嫁は結婚生活を楽しみにしていて、害獣に邪魔されたくありません。
では「狐」は、どのように神と私たちの関係を邪魔するのでしょう。私の場合、色々と引き受けすぎてしまうと、圧倒されて不機嫌になります。また人のいさかいを目にすると、失望したり怒ったりしがちです。私は図らずも「狐」を招き入れてしまったり、忍び込ませてしまったりしたとき、その影響を最小限にしてくださるように主に願います。すると、神の優しい臨在と導きを感じ、神に対する信頼と愛が増していきます。
あなたは自分を神から引き離そうとするものに対して、どのように神の助けを求めていますか。
思いがけない親切
友人がスーパーのレジに並んでいると、前の人が10ポンド(1500円)の割引券をくれました。寝不足で疲れていたせいか、彼女は不意の親切に泣き出し、今度はそんな自分がおかしくて笑ったそうです。思いがけない親切は、疲れ切った心を潤し元気をくれました。そして、赤の他人を通して良くしてくださった主に感謝しました。
落穂拾い
タンザニアの友人ルツの夢は、首都ドドマの荒れ地を再生して、夫に先立たれた女性たちが自活するための農場を作ることです。困窮した人たちの自活を助けるという彼女の夢の基は、神に対する愛です。また、自分の名前はルツ記に由来しているのだから頑張らなくては、とも思っています。
神の手のひらに刻まれた
チャールズ•スポルジョンは1800年代、ロンドンの教会で長い間、牧会していましたが「わたしは手のひらにあなたを刻んだ」と語るイザヤ書49章16節から何度も説教を取り次ぎました。彼は「このようなみことばは、何百回も説教されるべきだ」と言いました。「神の手のひらに…」という真理はあまりにも素晴らしく、私たちにとって、何度も何度も思い返すべきメッセージだからです。
岩の上の家
友人が数年前に買った家のリビングが沈み、壁にひびが入り、窓は開かなくなりました。手抜き工事で建て増しされ、土台が無いことが分かりました。土台を敷く数か月間の工事の後、完成した家を訪問すると、壁のひびは消え、窓は開きましたが、見た目に違いはありません。しかし土台が肝心ということは明白です。