テントで暮らす
故郷のミネソタ州は多くの美しい湖で知られ、私は神の造られた大自然の中でキャンプをするのが大好きでした。しかし、テントで寝るのは苦手でした。特に雨の夜、テントが雨漏りして寝袋が湿っぽくなるのは困ります。
手紙を書く
母と姉妹たちは、今でも手紙という旧式な方法で、毎週のように日常のあれこれと喜怒哀楽を分かち合っています。私はこの文通を素晴らしいと思います。また、信徒の人生はキリストの手紙だというパウロの言葉を深く噛みしめさせてくれます。
きれいにされる
食器洗い機を開けると、どうしたことでしょう。きれいなお皿ではなく、粉まみれの食器が並んでいます。水道に問題が発生したのでしょうか。それとも食器洗い機が壊れたのかしら。
収穫のために色づいている
夏の終りに英国のニューフォレストを散歩し、近くで馬がたわむれるのを見ながら野生のブラックベリー摘みを楽しみました。昔々、誰かが植えたであろう甘い実の味を堪能しながら「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました」(ヨハ4:38)というイエスのみことばに思いを馳せました。
恐れではなく信仰を
夫に海外赴任の話が出たという友人が、「昇進だったけれど辞退してもらったの。私は今の家を離れたくないから」と言いました。しかし、変化を恐れたために新しい扉を開けず、逃してしまったものは何だったのだろうと時々考えるそうです。
何事にも時がある
飛行機の中で心暖まる光景を見ました。座席で遊ぶ幼い女の子の隣に赤ちゃんを抱いた母親がいて、赤ん坊に微笑んだり、頬をさわったりしていました。赤ちゃんは大きな目でじっと母を見つめます。私はわが子の幼かった頃を懐かしく思い出しました。
顔を合わせて
世界は今までにないほど情報機器でつながっていますが、実際に顔を合わせて話すに勝るものはありません。いっしょに時を過ごして笑い合ったりするなら、相手の表情からほとんど無意識に温かいものを感じます。家族にしろ、友だちにしろ、好きな人とは直接会いたいものです。
休息する日
ある日曜日、私はロンドン北部の住宅街を流れる川べりに立ち、水のせせらぎや鳥の鳴き声に耳を傾けていました。街中に住みながら、このような美しい光景を楽しみつつ、ゆっくりリラックスできるのは嬉しいことです。私は、たましいに休息とうるおいを与えてくださる主に、感謝の祈りをささげました。
行いを伴った信仰
友人が食料品を買いに行くと、車道の端を歩いている女性を見かけました。彼女は引き返して「乗りませんか」と声をかけるべきだと思い、それを実行したところ、大変感謝されました。その女性はバスに乗るお金がないので、蒸し暑い日に何キロも歩いて帰宅する途中だったのです。そればかりか、その日の朝、4時に職場に着くために何時間もかけて歩いたと言いました。