あらゆる助け
コネチカット州ニュータウンの小学校で銃乱射事件が起きたとき、大勢の人々は、何かをしなければという気持ちになりました。それで、けが人のために献血をした人がいたり、救援に従事する人たちに無料でランチやコーヒーを提供したレストランもありました。慰めの手紙を書いたり、ただ抱きしめる人たちもいました。子どもたちのために募金をしたり、ぬいぐるみを送ったり、カウンセリングを申し出る人たちもいました。それぞれが自分の性格や能力にふさわしく、自分の持っているもので、自分にできることをしました。
苺だらけ
私たち夫婦は最近、新しい家に引っ越したのですが、近所に住む男性が大きな箱一杯の苺を家の前の歩道に置いていきました。箱には「近所の方々にお裾分けします」というメモがありました。ところが、その箱を子どもたちがどの大人よりも早く見つけたため、男性の善意が騒動の種になりました。子どもたちは、私たちの白い家に苺投げをして楽しんだのです。そして、私たちが帰宅すると、塀の陰に隠れて私たちの様子を見ていました。「犯行現場に戻って来た犯人たち」は、その状態に私たちがどう反応するか、興味津々でした。私たちは、自分たちだけでぐちゃぐちゃの苺を片づけ、壁のシミをふき取ることもできましたが、子どもたちと話をし、いっしょに後片付けをすることが後々のために大切だと思って、そのようにしました。
待つ…
娘婿のジョンが神から離れてしまっていたので、ハリーは何年もの間、毎日、彼のことを神に祈っていました。そして、ハリーは亡くなりました。数か月後、ジョンが神のところに戻ってきました。舅が毎日祈ってくれていたことを姑のマーシャから聞かされて、ジョンは「戻るのが遅すぎました」と答えました。しかしマーシャは、「主はハリーの生前の祈りに、今も応えつづけてくださっているのよ」と、うれしそうに語りました。
天は喜ぶ!
ジョアンはクリスチャンホームで育ちましたが、大学生になると信仰に疑問を持つようになり、神から離れていきました。大学を卒業後、幸せを求めて世界中を旅しましたが、心は満たされないままでした。ところが、つらい出来事をきっかけに、神が自分を追い求めておられると気づきました。自分には神が必要だとも思いました。ジョアンは両親にドイツから電話をかけて、「人生をキリストにささげることにしたわ。私は変えられたの。心配をかけてごめんなさい」と言いました。両親は大喜びです。息子や嫁たちに電話して、すぐに実家に来るようにと言いました。このうれしい知らせを直接会って伝えたかったのです。「あなたたちの妹がキリストを心に迎えたのよ」と言うと、彼らは涙を流して喜びました。
イエスの愛
あまりないことですが、一日に3度同じ歌を聴きました。まず、昼過ぎに高齢者施設の合唱クラブに出席しました。祈って集会を終わろうとすると、入所者のウィリーが、「『主我を愛す』をいっしょに歌ってください」と言いました。夕方にはユースグループの集会に出席しました。そこで青年たちは、手拍子をしたり、足を打ち鳴らしたりして同じ曲を歌いました。その夜遅く、携帯電話にメールが届きました。メールには添付ファイルがついていて、それを開くと、2歳半になる姪の娘が可愛い声で「主は強ければ、我弱くとも…」と歌っていました。その日、90代、10代、そして幼児が、ひとつの歌を歌っていました。
助手大募集
助手という言葉には、一人前ではないというイメージがあります。確かに、電気工や配管工などは、熟練工の助手をしながら見習い修行をします。新人弁護士は、ベテランの助手をしながら経験を積みます。この人たちは、その職業においてそれほど腕が良いわけではないので、見くびられているのかもしれません。しかし、仕事を完成させるためには、彼らの働きも必要です。
ふたりの人
私が住んでいる町で、同じ日にふたりの人が殺されました。ひとりは警察官で、ある家族を助けようとして撃たれました。もうひとりはホームレスの男性で、その日の早い時間、友人たちと飲んでいるところを撃たれました。
ご近所さん
家の周りのフェンスがかなり傷んできたので、私たち夫婦は倒れる前に取り外すことにしました。取り外すのはとても簡単で、ある日の午後、ふたりで作業をするとあっという間に終わりました。数週間後、夫が庭を掃いていると犬を散歩させていた婦人が立ち止まって、「このお庭は垣根がない方がずっといいわね。それに私、フェンスには反対なの」と言いました。彼女は「コミュニティ」(共同体)を大切にしたいので、人を隔てるものは欲しくないのだそうです。
取消されたクリスマス
去年は、クリスマスがキャンセルされたようでした。私たちは、ミズーリ州の実家に帰るはずでしたが、降雪で乗り継ぎの飛行機が欠航になりました。ここ何年も、親族がそろってクリスマスを祝うことが慣例でしたから、ミネソタ州まで飛びながら、ミシガン州の家に逆戻りしなければいけなかったときは、本当にがっかりしました。