なります
シャーリーが夕方、家でくつろいでいると、窓の外で、知らない老夫婦が、古い柵を運ぼうとしていました。それで、夫と手伝いに出て、4人で台車に乗せ、大通りを抜けて彼らの家まで「エイコラ、エイコラ」と運びました。もう一枚を取りに戻ったとき、妻の方が「私の友だち、なる?」と聞いたので、シャーリーは「なります」と答えました。このベトナム人夫婦は、ほとんど英語が分からず、子どもたちは独立して遠方に引っ越して寂しかったのだそうです。
今から始める
姉に癌が見つかった2017年2月の終わり、私は「今からは、姉のキャ ロラインと一緒にいる時間を少しでもたくさん作らなくては」と友人たちに話しました。すると、私は過剰に反応していると言う人たちがいましたが、姉は10カ月もしないうちに亡くなってしまいました。私たちは多くの時をともにしましたが、大切な人の場合、どれほどの時間を割いても十分ではありません。
さあ、力を抜いて
ダーネルは痛いだろうなと思いながらリハビリテーション室に入りました。理学療法士は彼の腕を曲げたり伸ばしたりしました。また、違和感のある位置で腕を止めて数秒間支えては「さあ、力を抜いて」と優しく言いました。ダーネルは「さあ、力を抜いて」を毎回のセッショ ンで最低50回は聞いたと語ります。彼は、その言葉を思い出し、それは人生にも応用できることだと考えます。余計な心配をせずに、神のいつくしみと変わらぬ誠実を信じて力を抜くことができるはずです。
見えるのは唯一
クリスタは凍てつく湖岸に立ち、雪におおわれた美しい灯台をながめていました。写真を撮ろうとスマホを取り出しましたが、メガネが曇って何も見えません。それで、カメラを灯台に向けて当てずっぽうに3度、シャッターを押しました。しかし後で見ると、自撮りモードになっていたのです。彼女は笑って「自分が中心。見えるのは、唯一自分だけ」と言いました。それを聞いて、私はある失敗について考えました。私たちは、よく自己中心になって、神のご計画の全体像を見失います。
主はどのようなお方か
昨年、私たちはがんで闘病中の3人の女性のために祈りました。神は癒やす力をお持ちだと知っていたので、私も友人たちも毎日祈りました。主が病気を癒やされたケースを知っていたので、今回も同じことが起こると信じていました。回復の兆しを見て喜んだ時期もありましたが、結局、秋には全員が亡くなっていました。この3人は、究極の癒やしを得たと言う人がいます。それは確かにそうです。しかし、私たちは喪失感で深く傷つきました。全員が癒やされて欲しかったのに、なぜか奇跡は起こりませんでした。
イエスの奇跡を見て、自分も何かしてもらおうとついて行った人がいました(ヨハ6:2、26)。自分たちの王が現れたと思った人(ルカ19:37-38)、偉大な教師だと言った人がいました(マタ7:28-29)。一方、イエスはただの大工の息子だとか(マタ13:55-58)、その教えは到底受け入れられないと思って去った人もいました(ヨハ6:66)。
イエスは私たちの願いを必ずかなえてくださるとは限りませんが、私たちの想像をはるかに超えたお方、永遠のいのちの与え主です(ヨハ6:47-48)。イエスは賢く良いお方。愛し、赦し、寄り添い、慰めてくださるお方です。そのイエスの内に憩い、このお方に従っていきましょう。
希望の兆候
エリザベスは長い間、薬物中毒に苦しみましたが、それを克服すると、同じ問題を抱える人を助けたいと思いました。そこで匿名の手書きのメモを、町のあちこちに置きました。駐車している車のワイパーに挟んだりもしました。以前の彼女は、希望の兆候を探していました。今は、他の人が見つけられるようにと、メモに「愛を込めて、希望を送ります」と記しています。
十字架を通して
同僚のトムのデスクにはガラス製の十字架が置かれていますが、それは彼と同じく癌を克服したフィルが「何事も十字架を通して見られるように」と贈ってくれたものです。十字架は神の愛と神の麗しい計画を思い出させますが、苦境にあっては神の愛よりも目下の問題に目を向けてしまいがちです。
時間を惜しまない
最近、米国へ来たシリア人女性のリマは、片言の英語と身振り手振りで英語の家庭教師に辛い理由を話しました。大皿に盛りつけた手作りの郷土料理を持ち上げ、涙を流しながら「ある人が」と言い、ドアから居間、再びドアを指さし「ヒューッ」と言いました。家庭教師は理解しました。近くの教会の幾人かが、リマの家を訪問して届け物をする予定でしたが、来たのはひとりだけ。しかもその人は、届け物をするとすぐに出て行きました。とにかく責任は果たしたということでしょうが、リマたち家族は孤独で、ファティールを食べながら人と交わりたかったのです。
励ましのささやき
その若者はそわそわしています。飛行機の窓に目をやったり、離したり…。目を閉じて深呼吸し、冷静になろうとしましたがダメでした。飛行機が離陸すると、彼は身体を前後に揺すりました。中年の女性が通路を挟んで座っていました。彼女は若者の腕に手を触れて穏やかに話しかけ、小声で名前や出身地を尋ねたり「大丈夫よ」とか「十分、落ち着いているわ」などと言ったりしていました。この人は彼の様子に憮然としたり無視したりすることもできました。しかし、話しかけることにしたのです。小さな親切です。3時間のフライトが終わると、若者は「ありがとうございました。本当に助かりました」と言いました。