イエス印の服を着る
ジェローム・ベティスが大学に進学して実家を出る時、父のジョニーは「君にあげられる物はあまりないが、私には良い評判がある。それを汚してはダメだよ」と賢明な助言をくれました。これは彼の座右の銘になりました。彼は、プロフットボール殿堂入りのスピーチでこの逸話を披露し、最後に自分の息子に向けて「私は良い評判以上に大きな物を君にあげることはできない」と語りました。
聖書を学ぶ
神学者のJ. I. パッカー(1926年~2020年)は、著書『神を知るということ』の中で、有名な4人のキリスト者に言及し、彼らを聖書ビーバーと呼びました。神学者でなくとも、ビーバーが木にくいつくように聖書にかじりついて、神を知ろうとした人だからです。パッカーは、聖書から神を知ることは、学者だけの仕事ではないと語ります。素朴な人が聖霊に満たされて、聖書を読み、説教を聞くなら、神学的正確さだけを云々する学者よりもずっと深く、神やイエスを知るようになると語ります。
何も持たずに
ロバートは友人と朝食に行って財布を忘れたことに気付きました。恥ずかしくて、食べずに我慢しようかと悩みました。しかし、友人の説得を受け入れて食事を楽しみ、友人は喜んで代金を払ってくれました。
納得できない時
プロのスポーツ選手を目指していた青年が挫折した時、「神のご計画が分からない。僕は人生を主にささげたのに!」と母親にメールしました。思いがけない挫折を経験して、「なぜなんだ?!」と心で叫んだ経験の無い人がいるでしょうか。友人に説明もなく絶交されたり、健康に気をつけていたのに病気になったり、会社が突然移転を発表したり、生活が一変するような事故に遭ったり…。
忘れられることはない
甥のジャレドは、過去の出来事の日付や曜日、何を着ていたかを詳細に思い出すことができます。「おじさん、僕を床屋とスーパーに連れて行ってくれた日のことを覚えている?僕はカーキ色のパンツに青のチェックのオックスフォードシャツ、紺のカーディガンを着て、茶色の靴下と茶色の靴を履いていた。2016年10月20日の木曜日だったよ。」彼は、自閉症のハンディを埋めて余りある驚異的な記憶力を持っているのです。
偏見と赦し
不義を正すという礼拝メッセージの後、ある教会員が、黒人であることを理由にその牧師の招へいに反対票を投じたと告白し、涙を流して赦しを乞いました。「どうか赦してください。私の人種差別や偏見を我が子に継がせたくありません。私が間違っていました。」牧師は彼の涙の謝罪を受け止め、赦しました。その人は次の週、神に変えていただいたというあかしをし、教会の皆が喜びました。
なんということでしょう
住宅リフォームのTV番組は、「なんということでしょう。匠の手によって…」というナレーションとともに、床や壁が新調されて生まれ変わった我が家に持ち主を招き入れます。その家を見て、感動のあまり涙ぐむ人もいます。
絶望の中の希望
スヌーピーの漫画で、ルーシーが「気の病」を5セントで助けると宣伝しました。ライナスは、彼女のところに行って、ひどく落ち込むと言い、どうすればいいのかと尋ねました。ルーシーは即座に「さあ元気を出して!はい、5セント」と応じました。
神とともに闘う
米国陸軍のデズモンド・ドスの英雄的な行為は、2016年の映画「ハクソー・リッジ」で描かれました。ドスは人の命を奪うことを神が禁じていると信じていたので、陸軍の衛生兵として、自らの命の危険も顧みず、人命救助に尽くしました。「ドス一等兵は、退くことを拒んで弾丸の降り注ぐ最前線に留まり、多くの負傷兵を一人、また一人と要塞の斜面まで運び出した。…敵の爆撃や機銃掃射に全く怯まず、砲兵将校を支援した」と、1945年10月12日の勲章授与式で称えられました。