寄稿者

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Arthur Jackson

Arthur Jackson

アーサー・ジャクソン師はシカゴ地域で28年間、教会の牧師として奉仕した後、2016年秋、夫婦で故郷のカンザスシティーに戻りました。「デイリーブレッド」の寄稿者として奉仕するかたわら、牧師の健全性に寄与する団体であるPastorServeの地域ディレクター、また教会開拓の働きNeopolis Networkのディレクターとしても奉仕しています。

寄稿一覧 Arthur Jackson

苦言の価値

早春の清々しい日、妻と上機嫌で旅に出かけました。しかし途中で逆走の警告標識が無かったなら、旅は悲劇に転じていたことでしょう。私は曲がり角で反対車線に入りそうになりましたが、「侵入禁止」の標識が目に入り、即座に進路を変更して戻りました。もし無視して走りつづけたなら、どうなっていたでしょう。考えただけでもゾッとします。

主の傷痕

グレーディーは握手ではなくグータッチを好みますが、その理由はたぶん、手首についた自傷行為の痕が見えてしまうからです。私たちは、人に傷つけられたか、自分で傷つけたかにかかわらず、自分の体や心の傷を隠そうとします。

負債を消す人

度肝を抜かれるという言葉がぴったりの出来事でした。ジョージア州アトランタ市のモアハウス大学の2019年の卒業式でのことです。祝辞を述べた人が、卒業生全員の学費ローンを全額肩代わりすると言ったのです。1千万円以上の返済額があった卒業生は感謝に震えて、涙ながらに叫びました。

ともに勝利する

サムエル・バッガガ牧師は真夜中に呼び出しの電話を教会員から受け、駆けつけると、家は炎に覆われていました。父親は火傷を負いながらも、子どもを助けるために再び家に入り、気絶した娘を抱きかかえて現れました。そこはウガンダの田舎だったので、病院まで10キロの道のりです。車がないため、牧師と父親は、子どもを抱えて走りました。腕が疲れると、もうひとりが代わって抱き、一緒に走ったのです。そうして病院にたどり着き、親子とも治療を受けて全快しました。

幼子から学ぶ

ケニアの首都ナイロビのスラム街に車で入り、貧困を目の当たりにすると、何とも言えない気持ちでした。しかし、幼い子どもたちが「先生!先生!」と叫びながら駆けて来るのを見て、清々しさを感じました。子どもたちは私の車に同乗していた牧師に会うのが嬉しくてたまらないようで、心を砕いて世話を惜しまない彼らの霊的なリーダーを、可愛い声で暖かく迎えたのでした。

真の自由

映画「アミスタッド」は、1839年、西アフリカで奴隷になった人たちが、船を乗っ取り、船長や船員を殺した事件に関するものです。彼らは再び捕らえられ、投獄され、裁判にかけられます。奴隷のリーダー、シンケが熱心に解放を請う法廷のシーンが印象的です。「われらに自由を!」という、鎖につながれた男のたどたどしい英語の訴えが、熱を帯びて繰り返されると、やがて法廷は静まり返ります。そして正義がもたらされ、彼らは自由になるのです。

最強の救い主

ニューヨークの教会で緊急支援に携わるジョーは、職場を8週間離れましたが、休暇ではありません。再度ホームレスになり、彼らの飢えや疲れ、人に無視される気持ちを思い出すためだったと言います。最初の路上生活は、ピッツバーグからやって来て、仕事も住居も無い時でした。食事も睡眠もままならず、13日間を路上で過ごしました。神はこうして、何十年も困窮者に仕える働き人の下地を作られました。

命にまさるもの

メアリーはイエスを愛していましたが、人生は苦しく、じつに厳しいものでした。ふたりの息子に先立たれ、ふたりの孫も銃の犠牲となって亡くなりました。彼女自身は脳梗塞で身体の片側が不自由です。しかし、教会に行けるようになるとすぐ礼拝に集い、障害の残るたどたどしい口調で「私のたましいはイエスを愛します。その名をあがめます」と主を賛美しました。

イエスに解放される

薬物から足を洗い、イエスに従う前のKCの人生はめちゃくちゃでした。長く一緒に暮らしていた母親は、ついにたまりかねて家を出ていったと言います。彼は、麻薬を買う金欲しさに盗みを働き、家族のお金さえ盗んだと正直に打ち明けます。今はすっかり更生し、「今日で〇年〇か月〇日間薬を使っていない」と毎日毎日、確認しつづけて過ごしています。私とKCは聖書をともに定期的に学んでいますが、私の前にいるのは、人生を変えられた人です。