互いにつながる
ルワンダ共和国では1994年、2ヶ月間に百万人ものツチ族の人々が、フツ族に虐殺されました。ジェフリー・ルブシシ主教は妻のメアリーに、最愛の人たちを殺された女性に手を差し伸べようと言いました。彼女は「私はただ泣きたい」と答えました。自分の家族も殺されたのです。彼の返答は、賢明なリーダーであり、思いやりある夫のそれでした。「メアリー、そうした女性を集めて、ともに泣きなさい。」辛いからこそ、彼女だけにできる痛みの共有があると知っていたのです。
どこまでも助けてくださる
ダグ・マーキーの彫刻「非情な信頼」(Ruthless Trust)は、木の十字架にすがる青銅の人物像です。彼は「常にあるべき人生の形、つまり、キリストと福音に頼ることが、何者にも絶対にじゃまされないことを簡潔に表した」と言います。
最期まで実り豊かに
レノア・ダンロップは94歳でしたが、明るく頭脳明晰で、イエスを愛していることは誰の目にも明らかでした。教会の若い人たちの輪にいることもまれではありません。いっしょにいてくれると嬉しい人でした。あまりに元気だったので、突然の死は驚きでした。亡くなる数日前に異文化宣教の16週間の講座を修了したほどでした。彼女は強い陸上選手のように人生を全力で駆け抜けました。
あきらめずに祈る
祈りについてE.Mバウンズ(1835-1913)が述べた「祈祷は不朽」は、世紀を超え人々を励まします。1925年、山崎亭治師が翻訳した著書「祈祷の目的」(東洋宣教會出版)は祈りについてこう語ります。「祈祷を捧げたる唇は死のために閉ぢ、祈祷を感じた心臓は其の鼓動を止めることがあっても祈祷は神の御前に生きている。而(しか)して神の心はその祈祷の上に止まり、これを捧げた人達の生涯よりも長く、又その世紀よりも長く、又世界よりも長く生きるものである」。
書いてあることを行う
ブライアンは受付係をするはずだった兄の結婚式をすっぽかしました。当然ながら、家族はがっかりしました。一方、妹のジャスミンは式でコリント人への手紙第一13章を朗読しました。愛について書かれている聖句を上手に読みましたが、後日、父にブライアンの誕生日プレゼントを届けるように頼まれると、愛について読むことはできても、実行は容易ではないと感じました。しかし、読んで実行しないなどあり得ないと思い直し、出かけました。
私の回りを囲む盾
有能なワーシップリーダーのポールが亡くなり、教会の人たちは悲しみに暮れました。まだ31歳、ボートの事故でした。ポールと妻デュロンダは、悲しみを知る人たちでした。度重なる流産で、何人もの赤子を墓に葬りました。そこに、ポールまでが葬られるのです。この悲劇は、彼らを愛する人たちにとっても、とどめの一撃のようでした。
大いなること
ベルリンの壁が崩壊したというニュースに世界中が驚きました。1989年11月9日、ベルリン市を二分していた壁が崩れ、28年間分断されていた街がひとつになりました。ドイツの人々はもとより、世界中の人たちが興奮しました。それは大いなる出来事でした。
「しかし、…」
私たちは、2017年、ハリケーン・ハービーの被災地ヒューストンで復興ボランティアをしました。現地の人の励ましになればと願っていましたが、被害を受けた家や教会に被災者とともに立つと、信仰が試されているように感じ、また、強められもしました。
再生の準備
陸軍に所属してドイツに駐留していた時、1969年製のフォルクスワー ゲン・ビートルを購入しました。深緑色の車体に茶色の合成皮革のシート。美しい新車でした。しかし、年月とともに車は傷み、事故のせいで一枚のドアとステップが壊れてしまいました。もし、私にもっと想像力とお金があったら、クラシックカーとして価値が出るから、ぜひ再生しようと思って、実行したかもしれません。しかし、実際は違いました。