寄稿者

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Arthur Jackson

Arthur Jackson

アーサー・ジャクソン師はシカゴ地域で28年間、教会の牧師として奉仕した後、2016年秋、夫婦で故郷のカンザスシティーに戻りました。「デイリーブレッド」の寄稿者として奉仕するかたわら、牧師の健全性に寄与する団体であるPastorServeの地域ディレクター、また教会開拓の働きNeopolis Networkのディレクターとしても奉仕しています。

寄稿一覧 Arthur Jackson

神の迂回路

神に「ノー」とか「今は違う」と言われたら、がっかりします。神の導きを感じていたならなおさらです。牧師になった頃、自分の得意分野と教会の必要が一致している就職先がふたつ浮上しました。ところが結局、どちらも流れてしまいました。二度の失望の後、別の打診があり、数名の候補者の中から選ばれました。そして、13年間、その教会で牧師として仕えました。

嵐の中で

6人家族の家が火事になり、父と息子は助かったものの、父は重傷、彼の妻と母親、そしてふたりの幼い子どもは、亡くなりました。彼らは私たちの教会員です。悲しいことに、このような悲惨な出来事が繰り返し起こります。なぜ悪いことが良い人に起こるのでしょう。昔からあるこの疑問に、当然ながら答えは今も見つかっていません。

拘束されても沈黙しない

それは1963年の夏でした。公民権運動家のファニー・ルー・ヘイマー と6人の黒人客は、夜行バスで移動した後、ミシシッピー州のウイノナで食堂に立ち寄りましたが、警察によって強制的に追い出され、不当に逮捕拘留されました。その上、暴行まで受けました。ファニーは激しい暴行を受けて瀕死の状態になりましたが、突然「パウロとシラスは牢につながれた。わたしの民を行かせなさい」と歌い出しました。すると身体の自由を奪われてもたましいが解放されている仲間たちが、彼女といっしょに神を賛美しました。

神の驚くべき御手

ニューヨークを飛び立って20分後、飛行機のエンジンのひとつが破損し、破片で窓ガラスが割れました。機内の気圧が下がり、大混乱になりました。残念なことに乗客ひとりが死亡、数名がけがをしました。戦闘機パイロットの訓練を受けた冷静で有能な機長が操縦していなかったら、大惨事になっていたでしょう。地元新聞は「驚くべき手によっ て」と報じていました。

力を回復

完走する、4時間台でフィニッシュする、という目標を立てて、54歳でミルウォーキー・マラソンに挑戦しました。前半と後半を同じペースで走れたら非常に良いタイムだったのですが、レースはきつく、体力を回復し後半で盛り返すという訳にはいきませんでした。痛む足を引きずり、ほぼ歩いてゴールしました。

明るい光

私たちの教会のグループは2015年の夏、ナイロビのスラムのひとつ、マタレを訪れてショックを受けました。学校は、土の床、錆びた金属の塀、木の腰掛けという状況でしたが、その貧しい環境の中に、際立った人物がいました。名前はブリリアント。聡明、輝き、という意味のその名は、彼女にぴったりでした。ブリリアントは小学校の教師で、その使命に相応しい決意と喜びが見えました。カラフルな服に身を包んで、子どもたちを教え、励ます姿は、喜びに満ちて素晴らしいものでした。

祖母の遺産

祖母の名はマデリン・ハリエット・オール・ジャクソン・ウィリアムズ。その長い名前に相応しく101歳という長命でした。私たち兄弟は祖母と親しくしていました。一緒に住んでいた時期もあり、そうでない時でも、車で1時間もかからない場所にいました。祖母は、賛美歌を口ずさみ、教理問答を暗唱し、教会でピアノを弾く、神を畏れる女性でした。私たち兄弟は、彼女の信仰の遺産を受け継いでいます。

神が手を握ってくださる

ある日曜日、幼い女の子が教会の階段を下りていました。それは彼女のミッションで、可愛く勇敢な独立心の表れです。2歳ぐらいの子どもが、階段を一段一段、ひとりで下りて来て、やり遂げました。私は、この勇敢な少女の大胆な行為に笑みがこぼれました。その子が決して恐れなかったのは、彼女を見守る優しいお母さんのまなざしと、いつでも助けてくれる手があったからです。これは、先の見えない人生を歩む神の子どもたちに、いつでも手を差し伸べようと準備されている主の姿をうまく映しています。

明かりをつけて生きる

私は同僚と約400キロ離れた町に出張し、夕方になってから帰宅の途につきました。年齢のせいで夜の運転は不安でしたが、最初にハンドルを握ることにしました。目を凝らして薄暗い夜の道路を運転している間、後ろの車のライトが前方を照らす時はよく見えると思いました。同僚が運転を代わってくれたときはホッとしました。その時です。私はヘッドライトではなくフォグライトをつけて運転していたことが分かりました。