寄稿者

すべて見る
Cindy Hess Kasper

Cindy Hess Kasper

シンディ・ヘス・キャスパー氏は、RBCミニストリーズで40年以上勤続しています。Our Daily Journey(若者向けデボーションガイド)の副編集長です。キャスパー氏は2006年に「デイリーブレッド」の著者に加わりました。キャスパー氏と夫トムには、成人した子ども3人と孫が7人あります。

寄稿一覧 Cindy Hess Kasper

教訓

夏のある日、高校の同窓会に出席すると、後ろから肩をたたく人がありました。私は、その女性の名札を見ながら、当時の記憶をたどりました。すると、小さく折りたたんだ紙が、私のロッカーにねじ込まれていた事件を思い出しました。その紙には、悪意に満ちた誹謗中傷の言葉が乱暴に書かれていました。私は深く傷つき、「なんて無神経な人なんだろう」と思ったものでした。青春の痛みがよみがえってきたように感じましたが、作り笑いを浮かべて彼女と適当に話をしました。

ところが彼女は、不遇な幼少時代や不幸な結婚生活について次々と話し出しました。その時ふと、「苦い根」(ヘブ12:15)という言葉が心をよぎりました。「ああ。そうなんだわ」と、私は思いました。長い間、この「苦い根」が私の心に張っていたのです。そして、私の心をがんじがらめにしていました。

「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ロマ12:21)という聖書のみことばが心に浮かびました。私たちは語り合い、ともに涙を流しました。ふたりとも過去の出来事には触れませんでした。

その日の午後、私は思い知らされました。心の中にぎゅっと押し込めていた苦々しい気持ちを解き放って、神に委ねなければならないと。神は私に赦すことを教えてくださいました。

困難

昨年は「やれやれ」という気持ちで年の瀬を迎えました。あまりにもたくさんの悲しみ、病、そして嘆きが、その一年にあったからです。「来年こそ良い年に…」と、新年に期待していました。しかし、年が明けると、次から次へと悲しい知らせが舞い込みました。何人かの友人が両親を亡くし、叔父は就寝中に帰らぬ人になりました。癌になった友人も幾人かおり、同僚の弟と友人の息子は、どちらも突然の悲劇で命を落としました。良い年どころか、新しい年は悲しみの大波が打ち寄せて来たようでした。

ヨハネ16章33節には「あなたがたは、世にあっては、患難があります」と記されています。神の子どもたちにも、健康で裕福で気楽な人生が約束されているわけではありません。しかし、困難の中にあっても、私たちはひとりぼっちではありません。イザヤ43章2節は、私たちが深い水の中を通り過ぎるときも、神は共にいてくださると語ります。自分に与えられた試練に神のどんな目的があるのか、常に理解できる訳ではありませんが、私たちは神の心を信頼することができます。なぜなら、神を知っているからです。私たちの神は、愛に富んだお方で、「死も、いのちも、…今あるものも、後に来るものも、…私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ロマ8:38-39)。困難にあっても、神のご臨在は神の約束です。

具体的に祈る

大きな手術を受ける前日、「すごく怖いの」と友人のアンに打ち明けました。彼女が「何が怖いの?」と尋ねたので、私は「麻酔から目覚めないんじゃないかと思って怖いのよ」と答えました。するとアンは、すぐさま祈ってくれました。「天におられるお父さま、あなたはシンディーが怖がっていることをよくご存知です。どうか彼女の心を静め、神の平安で満たしてください。どうかシンディーが手術の後に目を覚ましますように。」

垣根と恵み

ヨハネの福音書4章によると、イエスは井戸で女の人と出会われましたが、彼女はどんな人だと主の目に映ったのでしょう。それは、受け入れられ、愛されることを切望している人でした。また、ご自分にしか与えられないもの、すなわち「新しい心」が必要な人でした。このとき、弟子たちが皆、町に食物を買いに出かけていたのは偶然ではありません。

ダメと言われたら

湖畔にあるマーティの別荘に初めて行ったとき、彼は「ダメと言われない限り、いつ、どこで、何をしてもいい。それがここのルールだよ」と言いました。マーティと妻のリンは友人を別荘に招待することが大好きで、客人が自由に楽しいときを過ごせるように配慮してくれます。私たちは、手漕ぎボートやヨット、モーターボートが並んでいるのを目にし、ワクワクしました。

ルツの選択

聖書の時代、夫を亡くした女性は貧しい暮らしを強いられました。ルツと姑のナオミも例外ではありません。しかし、神はご自分の大きなご計画にルツを組み入れながら、ふたりの生活を守るように計らわれました。

雄弁だが謙虚

自分の考えを相手に分かるように説明し、説得して自分に同意させてしまう、そんな話術の持ち主に感心させられます。そのような人のことを「口が達者」とか「説得力がある」とか言います。または「雄弁」とも呼ばれます。

アポロには、そのような才能がありました。彼は「雄弁(で)…聖書に通じていた」と記されています(使18:24)。アポロはイエスについて正確に語っていましたが、バプテスマのヨハネの洗礼を伝えていたにすぎませんでした。ヨハネの洗礼とは罪の悔い改めの洗礼です(18:25、19:4)。

アポロはイエスの教えを知っていましたが、イエスの死と復活、そして聖霊降臨については知らなかったのかもしれません(使2章)。聖霊に満たされて日々の力を得るということを知らなかったので、アポロの教えは不十分なものでした。

そこで、パウロの友人のプリスキラとアクラという夫婦がアポロを自宅に招待して、彼の間違いを正しました。アポロは立派な教育を受け、聖書を熟知していましたが、この夫婦の指導を謙虚に受け入れました。その結果、正しい理解のもとに伝道活動を継続することができたのです。

詩篇25篇9節は、神が「貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる」と述べています。私たちが謙虚な姿勢でいるなら、神に教えていただくことができます。また、神に用いていただくことができます。

タイミングがすべて

ずいぶん時がたってから知ったことですが、私にとっては偶然の出会いが、私の(未来の)夫にとっては、絶好のタイミングだったのです。教会の2階のバルコニーから私の姿を見つけた彼は、私が出てくる扉を推測するや、勢いよく階段を駆け下りました。そして、私より数秒前に出口にたどり着くと、さりげなくドアを開けながら声をかけ、今思いついたかのように食事に誘ってくれました。けれども実は、前々から計画していたのだとは、そのときは知る由もありませんでした。

絶好のタイミングというのは、人間にとって、そうたびたび起こるものではありません。けれども、神ははっきりとした目的とご計画を持っておられ、神のタイミングはいつでも絶好です。

聖書の登場人物たちを見れば、そのことが分かります。アブラハムのしもべがイサクの妻について祈ると、神はその祈りに応えて、相応しい若い女性を導かれました(創24章)。ヨセフは奴隷として売られ、無実の罪で投獄されました。しかしついに、彼は用いられました。神は、彼によって、多くの人々の命をききんから救われました(45:5-8、50:20)。「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」(エス4:14)とモルデカイに促され、エステルは勇気をふるって行動します。

神のご計画がなかなか進まないと気を落としていませんか。神を信頼しましょう(詩 37:3)。神は絶好のタイミングで扉を開いてくださいます。