名前で呼ばれる
大学で英作文を教えたとき、名簿の名前と写真を見ながら学生の顔と名前を覚え、教室に入ってくる学生たちに「こんにちは、ジェシカ」、「よく来たね、トレバー」と声をかけていました。名前で呼ばれることの大切さを知っているからです。
エズラの朗読
紀元前444年の第7の月の初日、太陽が昇ると、エズラはモーセの律法(創世記から始まる聖書の最初の五書)を読み始めました。彼は、エルサレムの水の門の前の広場で、民の前に据えられた木の台に立ち、6時間ぶっつづけで朗読しました。
今まさに必要なもの
私は高齢者施設で、高校の合唱部が歌う「やすけさは川のごとく」を聞いていました。この曲は亡くなった娘メリッサの葬儀に使ったもので、それを聴くとたまらなくなります。メリッサの姉、リサはこのクラブの顧問です。父の気持ちを知っているはずなのになぜ…と思っていると、隣にいた男性が身体を傾け、「これは、今まさに私に必要なものです」とささやきました。私は自己紹介をして、その理由を尋ねました。すると彼は、「先週、バイクの事故で息子を亡くしたのです」と言いました。
驚くべき愛
旧約聖書の史実の中で、最後の一大事はエルサレム帰還です。神は捕囚の民をエルサレムに帰らせ、再び住まわせてくださいました。人々は故郷に戻り、神殿を再建し、城壁を修復しました。このことはエズラ記とネヘミヤ記に記されています。
神のギャラリー
詩篇100篇は、素晴らしい絵のようです。私たちが礼拝する神は、目には見えないお方ですが、それでも、その神を誰かに知らせることは不可能ではありません。
知らないふりはやめる
どうやって私のことを調べるのか、退職金の運用を指南する講演会の案内が、次から次へと送られて来るようになりました。数年前から始まったのですが、どれも「老後の備えはしていますか」と告げています。今までは無視してきましたが、どれかに参加する日も遠くないでしょう。行動しなくてはならない時が来たのですから。
敬意を保って
紀元前500年代の終わりごろのことです。イスラエルの民は、紀元前586年にバビロンに破壊された、神殿を修復しようとしていました。ところが当時、その地方の総督だった人は、神殿の再建が許可されているかどうか分からなかったので、ダリヨス王に手紙を書きました(エズ5:6-17)。彼は、ユダの人たちが神の宮の工事を進めていることを報告し、これは許可された工事なのでしょうかと王に尋ねました。
成長
幼い孫が友だちと、Tボールで遊んでいるのを見物するのは愉快です。幼い子は、違う方向のベースに走ったり、ボールを取ってからどうして良いのか分からず戸惑ったりします。プロ野球の試合なら、そんなミスは面白くはありません。しかし、スポーツを始めたばかりの幼い子が、どうするべきか分からなかったり、きちんとできなくても当然です。要するに成熟度の問題です。
彼女の決心
友人が突然、夫を心筋梗塞で亡くしました。彼女はカウンセラーとして多くの人を慰めてきましたが、結婚して40年経った今、仕事が終わって誰もいない家に帰るという痛みと向き合わなくてはなりません。彼女は悲しみの中で、「心の打ち砕かれた者の近くにおられる」お方にすがりました。そして、辛い日々を神と歩む中で、「寡婦」であることに胸を張ろうと決心したと言います。なぜなら、その境遇は神が彼女に与えられたからです。