ゆっくりしましょう
子どもの頃、毎月のようにウェストバージニア州の母の実家に行きました。オハイオ州の都会から出かけて農場の家に到着すると、祖母は決まって「さあさあ、中へ入って、ゆっくりしなさい」と出迎えてくれました。それは、くつろいで近況を聞かせて欲しいという意味でした。
名前で呼ばれる
大学で英作文を教えたとき、名簿の名前と写真を見ながら学生の顔と名前を覚え、教室に入ってくる学生たちに「こんにちは、ジェシカ」、「よく来たね、トレバー」と声をかけていました。名前で呼ばれることの大切さを知っているからです。
エズラの朗読
紀元前444年の第7の月の初日、太陽が昇ると、エズラはモーセの律法(創世記から始まる聖書の最初の五書)を読み始めました。彼は、エルサレムの水の門の前の広場で、民の前に据えられた木の台に立ち、6時間ぶっつづけで朗読しました。
今まさに必要なもの
私は高齢者施設で、高校の合唱部が歌う「やすけさは川のごとく」を聞いていました。この曲は亡くなった娘メリッサの葬儀に使ったもので、それを聴くとたまらなくなります。メリッサの姉、リサはこのクラブの顧問です。父の気持ちを知っているはずなのになぜ…と思っていると、隣にいた男性が身体を傾け、「これは、今まさに私に必要なものです」とささやきました。私は自己紹介をして、その理由を尋ねました。すると彼は、「先週、バイクの事故で息子を亡くしたのです」と言いました。
驚くべき愛
旧約聖書の史実の中で、最後の一大事はエルサレム帰還です。神は捕囚の民をエルサレムに帰らせ、再び住まわせてくださいました。人々は故郷に戻り、神殿を再建し、城壁を修復しました。このことはエズラ記とネヘミヤ記に記されています。
神のギャラリー
詩篇100篇は、素晴らしい絵のようです。私たちが礼拝する神は、目には見えないお方ですが、それでも、その神を誰かに知らせることは不可能ではありません。
知らないふりはやめる
どうやって私のことを調べるのか、退職金の運用を指南する講演会の案内が、次から次へと送られて来るようになりました。数年前から始まったのですが、どれも「老後の備えはしていますか」と告げています。今までは無視してきましたが、どれかに参加する日も遠くないでしょう。行動しなくてはならない時が来たのですから。
敬意を保って
紀元前500年代の終わりごろのことです。イスラエルの民は、紀元前586年にバビロンに破壊された、神殿を修復しようとしていました。ところが当時、その地方の総督だった人は、神殿の再建が許可されているかどうか分からなかったので、ダリヨス王に手紙を書きました(エズ5:6-17)。彼は、ユダの人たちが神の宮の工事を進めていることを報告し、これは許可された工事なのでしょうかと王に尋ねました。
成長
幼い孫が友だちと、Tボールで遊んでいるのを見物するのは愉快です。幼い子は、違う方向のベースに走ったり、ボールを取ってからどうして良いのか分からず戸惑ったりします。プロ野球の試合なら、そんなミスは面白くはありません。しかし、スポーツを始めたばかりの幼い子が、どうするべきか分からなかったり、きちんとできなくても当然です。要するに成熟度の問題です。