現実を生きる人、そして神
数年前、自分の家庭に起こった悲劇を「デイリーブレッド」の中で明かすと、ある読者から一通の手紙を受け取りました。そこには、「あのデボーション・エッセーを読んで、『デイリーブレッド』の筆者たちは、私たちと同じ現実を生きる普通の人たちだと気づきました」と書かれていました。全く、そのとおりです。 「デイリーブレッド」の筆者たちを見ると、癌の苦しみ、反抗的な子ども、実現しない願いなど、様々な痛みの中にいます。私たちは、この世の現実を生きる普通の人で、現実の苦悩を分かってくださる、今ここにおられる神について書いています。
しがみつく
テキサス州の大牧場で育ったカウボーイの友人には、独自の格言がいくつもあります。私のお気に入りは、「うまいコーヒーを入れるのに、水はたくさんいらない」というものです。また、悩みが大きくてハンドル操作ができない人がいると、「持っているものにしがみつけ」と言って励まします。それは、「助けはそこまで来ている。あきらめないで!」という意味です。
神さま、聴いている?
アルコール依存症の夫を持つクリスチャンの女性が「神は私の祈りを聴いておられない、と感じるときがあります」と言いました。多くのクリスチャンが彼女に共感します。この女性は18年間、夫が変えられるように祈っていますが、まだ何も起こっていません。神に良いもの、つまり、神の栄光を表すものを再三祈り求めているのに、それが答えられないとき、私たちはどう考えるべきなのでしょう。神は、祈りを聴いておられるのでしょうか。それとも、聞こえていないのでしょうか。
ダイヤモンド・ダスト
私たちの住む地方は冬の寒さが厳しいので、天候について色々思います。3月になったのにまだ雪が降ると、ほとんどの人はもううんざりだと思い、低温続きの天気予報にがっかりします。しかしながら、雪の神秘的な美しさには、やはり感動させられます。来る日も来る日も雪かきをして、自分の背丈ほどの雪の壁が家の前にできましたが、この「白いもの」にはやはり魅了されます。ある日、氷の結晶が積もった雪の上に落ちてきました。私たち夫婦はその中を散歩していましたが、まるでダイヤモンド・ダストが降っているようでした。
不安から自由になる
個人や集団、または政府などの違法行為に私たちは過度に反応しがちですが、心に留めておくべきことは、悪いニュースの方が良いニュースよりも「売れる」という現実です。
書かれているとおりに
家具などを組み立てるとき、私たち親子のやり方は真逆です。息子のスティーブは機械いじりが得意なので、取扱い説明書を読まずに作業を始めます。私が「はじめにお読みください」というページを熟読しているうちに、彼の作品は半分ぐらい仕上がっています。
水といのち
デイブ・ミューラーが蛇口をひねると水が勢いよく流れ出て、周りにいた人たちが拍手しました。みんなは、村にきれいな真水が初めて来たことを祝いました。清潔な水源を得て、ケニヤのこの村の人たちは、新しい生活を始めることができます。
修繕か交換か?
窓枠が汚くなってきたので、汚れを取り、傷を埋め、紙ヤスリをかけて下地を塗り、奮発して高いペンキを買って塗り直しました。そこそこきれいになりましたが、新調したようには見えません。そう見せたいなら、新品に取り換えるしかありません。
貧しい人に心を配る
ロバート・レイクスは1780年、自分の住むロンドンに貧しくて読み書きのできない子どもたちがたくさんいることに道義的な責任を感じ、何とかしようと行動を起こしました。