踏み出そう
ウッドチャックが我が家の物置の端っこをかじり出したので、捕まえて公園に放してやるつもりで生け捕り用の罠を買いました。美味しそうな餌を入れて罠を仕掛け、次の朝、ウッドチャックがかかっているだろうと期待しました。しかし、罠にかかったのはスカンクでした。
愛に生きる
友人のロクサーヌは、アフリカのある国に住んでいます。その地の人たちは長い距離を歩いて、小さな川から水をくんできますが、その水は汚くて病気になったり死んでしまったりする人もいます。安全な水の欠如は、クリスチャン団体や孤児院などが、その地で働くことを妨げてきました。しかし今、変化が起こっています。
共有する絆
車内にキーを残してロックしてしまい、かぎ屋を呼ばなければならなかったとき、思いがけなく嬉しいことがありました。かぎ屋は、私のフォード製の愛車のドアを開けようと作業しながら、世間話を始めました。私は、彼の温かい話し方や聞き覚えのある訛りに好感を持ちました。この人はジャマイカ出身でした。私はジャマイカを何度も訪れたことがあって、あの島が大好きです。このことで、かぎのトラブルに見舞われたイヤな気分が一変しました。ふたりとも、あの美しい島国を愛していたので、私たちはちょっとした仲間気分を味わいました。
ザアカイを 探す
アルフ・クラークは、「ザアカイ」を探して通りを歩きます。聖書に出てくる、あのザアカイではありません。あのザアカイは、イエスが既に見つけられましたから。アルフは友人たちと、都会の貧困地区で宣教しています。彼らは、イエスがルカの福音書19章でなさったことをしています。すなわち、困っている人を探して町を歩き、彼らに手を差し伸べるのです。
別の質問をする
悲劇に襲われたとき、誰もが「なぜ」と問います。家族を失った人たちは、神に疑問を突きつけます。「こんなひどいことを、なぜ止めてくださらなかったのですか」「誰のせいでこんなことに」「私が苦しんでも何とも思わないのですか」などです。10代の娘を事故で亡くした父親として、私自身も、このような質問を神にぶつけたことがあります。
あの人は誰だ
大学生がイエスをどのように捉えているかを、ケリー・ステインハウスがハーバード広場で調査したところ、学生たちの答えは好意的なものでした。ある学生は、イエスは「弱者の世話をした人だ」と答えました。またある学生は、「かっこよく生きた人だ」と答えました。一方で、「イエスは救い主だとは思わない。ただの人間だ」とか、「『私だけが天国に至る道だ』という宗教は受け入れられない」といって、イエスをシャットアウトする学生もいました。実際、イエスは誰なのかと熟慮する人も、イエスを門前払いする人もいます。
魅力的に見せる
むかし、汽車でリンゴ売りをしていた少年がいました。少年は「リンゴ、リンゴはいかが」と声を上げて、車両から車両へと歩いていきました。ところが、最後尾の車両まで来ても、一個も売れません。袋いっぱいのリンゴが残っているだけでした。
世界の 子供たち
高校生たちが伝道旅行の一環として孤児院を訪問しました。私は引率者でしたが、ひとりの生徒の様子がおかしいことに気づき、どうしたのかと尋ねました。すると、10年前の自分の姿を思い出して辛いのだといいます。
注意深い歩み
ジャマイカで一番好きな場所は、オチョ・リオス近くのダンズ・リバー・フォールという美しい滝です。この滝は渓流瀑(けいりゅうばく)で、大量の水が傾斜のある岩の上を滑るように流れ落ち、カリブ海に至ります。アウトドア好きな旅行者は、ここで滝登りができます。水に浸食されて丸くなった岩を上っていく、爽快な体験です。鋭い傾斜、流れ落ちる水、滑りやすい岩肌というコンディションには危険が伴うので、彼らの足取りはゆっくりです。