祈る患者
新聞の死亡告知欄にアラン・ナニンガという人の記事がありました。この町の人で、「何といっても、キリストの証人として生涯をささげた人」だそうです。そこには彼の仕事や家族のこと、また、彼の闘病生活が10年にも及んだと記されていました。他の患者のために祈る奉仕を続けたので、「病院の人たちは彼のことを『祈る患者』と、敬意を込めて呼んでいた」と書かれていました。この人は、自分も大変だったのに他の人に手を差し伸べ、その人のために、またその人とともに祈りました。
心の底から
大声で泣き叫んだり、着物を引き裂いたりする行為は、多くの文化の中で個人の悲しみを表し、国家の惨事を嘆く公式な手段として認められています。旧約聖書のイスラエル人は、このようにして神に背いたことを嘆き、悔い改めました。
十字架を握りしめて
偉大な説教者、チャールズ・スポルジョンは、キリスト教界の人材育成のために1856年、スポルジョン大学の前身となる学校を設立しました。校章には十字架を握る手が描かれ、ラテン語で「Et Teneo, Et Teneor」と記されています。これは「私は握り、握られている」という意味です。私たちはキリストの十字架をしっかり握って大胆にかかげると、スポルジョンは語ります。その理由は、十字架の力が私たちを捕らえているからであり、だれもがキリストの真理に捕らえられて欲しいと願うからだと、自伝で述べています。
思い出させてくださる神
イエスは思い出させる達人だ、と友人のボブ・ホーナーは言いますが、それはありがたいことです。私たちはすぐに疑い、すぐに忘れてしまいますから。
あなたのために祈っています
ややこしい状況や難しい問題に見舞われると、祈ってほしいとクリスチャンの友だちに頼みます。自分のことを心配してくれる人たちが祈ってくれるのは、心強いかぎりです。しかし、親しいクリスチャンがいなかったらどうでしょう。福音が禁止されている土地に住んでいる人もいます。そんなあなたのために、誰が祈るでしょう。
疲れ果てた人へのことば
父親が亡くなって数日後、30歳だったC.S.ルイスのもとに手紙が届きました。20年以上も前、彼の母親が病気で伏せったとき、亡くなるまで看病してくれた女性からでした。その人は、ルイスにお悔やみの言葉を述べるとともに、自分のことを覚えているかと尋ねました。ルイスは「親愛なる看護師のデービソンさん。あなたを覚えているかですって?当然ですよ」と返事をしました。
時を越えて
ウィリアム・シェイクスピアの没後400年となる2016年、英国をはじめ各国の劇団が特別公演を行いました。講演や音楽会、祭典などは盛況で、人々は英語で書かれた不朽の名作の数々を楽しみました。同時代を生きた劇作家ベン・ジョンソンは、「彼は特定の時代の人ではなく、あらゆる時代の人だった」と述べています。
良いものまね
教会の礼拝で子どもたちにメッセージをする先生が、今日はものまねをしようと言いました。「さあ、準備はできた?まず、にわとり ! 」すると、子どもたちはパタパタと腕を動かし、クワッ、クワッ、コケコッコーと鳴きました。次は「象」、「サッカー選手」、「バレリーナ」。そして最後は、「イエスさま」でした。多くの子どもが戸惑う中、一年生の子が両手を広げ、満面の笑顔で人を歓迎する姿勢を取りました。大人たちは、拍手喝采しました。
いっしょに歩もう
ディズニーランドの人気アトラクションの列に並んでいたとき、ほとんどの人が、長い待ち時間でも不平を言わず、笑顔で談笑していると気づきました。行列で待っていることの何がそんなに楽しいのでしょう。疑問を解く鍵は、ここにひとりで来ている人がほとんどいないことです。彼らは、家族や友だち、グループやカップルで、同じ体験を共有しています。だから、ひとりで列に並ぶのとは大違いなのです。