寄稿者

すべて見る
David C. McCasland

David C. McCasland

デービッド・マッカスランド氏は、1995年から「デイリーブレッド」の著者に加わりました。Discovery House Publishersから著書が出版されています。マッカスランド氏は、妻ルアンとともにコロラド州に住んでいます。二人には、4人の娘と6人の孫があります。

寄稿一覧 David C. McCasland

名前の由来

アフリカ各国では子どもの名前を、有名な訪問客、特別な出来事など、その子の親にとって意味のあることにちなんで決めることが多いと、ニューヨークタイムズ紙が報じています。重い病のため、助かるか否かは神にしか分からないと医者に告げられた親は、その赤ん坊の名を「神のみぞ知る」にしたそうです。13人兄弟の末っ子の男性の名は、「もう十分」でした。人の名前にはみな由来があり、中には特別なメッセージが込められている場合もあります。

最悪のとき

ウィンヤードというイギリスの男子寄宿学校に通っていた時期が、C.S.ルイスと兄ウォーレンにはありました。校長は冷酷な人だったので、学校中の人はみじめな生活をしていました。ウォーレンは後年、「私は今、64歳を過ぎたところだが、ウィンヤードにいた頃よりはずっとましだ、と言って自分を慰めることができないような境遇になったことは一度もない」と皮肉交じりに語っています。彼のように、あの頃と比べれば…と思い出して今の状況を感謝できる、最悪の時は誰の人生にもあることでしょう。

大賞を取る

どんな分野にも、功績をたたえる大きな賞があります。オリンピックの金メダル、ノーベル賞、アカデミー賞などは代表的な例です。しかし、それ以上の賞を手にするチャンスが、私たちにはあります。

友をイエスのみもとへ

ポリオは私が子どもの頃、最も恐れられていた病気のひとつで、感染患者の多くが小さな子どもだったために「小児麻痺」とも呼ばれていました。1950年代の中頃に予防ワクチンが開発されるまでは、アメリカ合衆国だけでも毎年、およそ二万人がポリオで身体の自由を奪われ、そのうち千人が死亡しました。

焦点を当てるもの

テキサス州中部の町で、2011年9月初旬、大規模な山火事が発生して600戸の家屋が焼失しました。その数週間後、オースティン・アメリカン・ステイツマン紙は「何もかも失った被害者が、失われなかったものを語る」という見出しの記事を掲載しました。その内容は、近隣住民からの多大な支援について、また、助けてくれる友人や地域の人たちの存在に気づけたことが、失ったもの以上に大きいと被害者たちが語っているというものでした。

神の道案内

オズワルド・チェンバーズは第一次世界大戦の最中、YMCAからイギリス連邦軍の従軍牧師として派遣されました。41歳でした。そしてエジプトのカイロから約10キロ北に位置する、ゼイトゥン駐留地に配属されました。1915年10月27日、その地で迎えた最初の夜、彼は日記にこう記しました。「ここは部隊の真っただ中、人々にとって英雄になるチャンスがある全くの砂漠だ。今までの日常とは似ても似つかない。神がどんな新しいことをなさろうとしているのか、私は興味を持って見守っている。」

一刻一刻が大切

友人のボブ・ボードマンは59歳のとき、「元気に過ごせる年齢を70歳までとして、人の一生を24時間ある一日に当てはめるとするなら、今の私は夜の8時半にいることになる。人生はまたたく間だ」と書きました。

手放しましょう

多くの慈善団体は、十分持っている人たちから、いらなくなった衣服や家庭用品を寄付してもらいます。使わなくなった物が誰かの役に立つのなら、譲ることは良いことです。一方で、私たちは自分にとって価値あるものを手放すことはしたがりません。

午前2時の友

キリストを信じる信仰で堅く結ばれたグループについて聞きました。メンバーのひとりで93歳の女性は、「助けがいると思ったら、午前2時にでもグループの誰かに電話して、遠慮せず頼みごとができると感じている」と語ります。この人たちはお互いのために無条件で献身し合っています。