寄稿者

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David H. Roper

David H. Roper

デービッド・ローパー氏は、30年余りの牧会経験の持ち主で、今はアイダホ・マウンテン・ミニストリーズの代表者です。これは、牧師夫婦を励ますために開かれたリトリート・センターです。ローパー氏は、妻キャロリンと川辺で過ごすことと釣りが趣味だといいます。

寄稿一覧 David H. Roper

空っぽではない

孫のジュリアは夏休みに、ウガンダのブシアにある孤児院で実習生として働きました。最終日に子どもたち一人ひとりに「さよなら」を告げに行くと、スマヤという少女はひどく悲しんで言いました。「明日、あなたが行ってしまい、来週には他の実習生のお姉さんたちも行ってしまう。」ジュリアが「そうね」と言うと、スマヤはしばらく考えて叫びました。「私たちは空っぽになってしまう。誰一人残らない!」ジュリアは、もう一度、そのとおりだと言いました。少女はまた、しばらく考えると、今度はこう言いました。「でも、神さまが私たちといっしょにいてくださる。私たちは空っぽにはならないわ。」

旅の道連れ

最近、大学院時代の同窓生の消息を調べてみると、多くの人が亡くなっているのが分かりました。改めて人生の短さを思い、気持ちを引き締めました。大抵の人は70歳か80歳ぐらいまで生きて、世を去ります(詩90:10)。私たちは旅人であり寄留者だとイスラエルの詩人は語っていますが(詩39:12)、まさにその通りです。

最終章

推理小説を読むときは、まず最後の章を読むという友だちがいます。「不安にならずに小説を読むため」だそうです。クリスチャンも同じです。私たちは物語の結末を知っているので、混沌のただ中にあっても平安の中心になることができます。災難に遭遇しても、落ち着くことができます。

いつまでですか?

サウル王は9年間、「山で、しゃこを追うように」ダビデを追っていました(Ⅰサム26:20)。ダビデは、「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。…いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう」と祈りました(詩13:1-2)。

神のみこころ

私たちは神のみこころを求めます。状況が困難なときは特にそうです。「どうなるのだろう。ここに留まるべきか、それとも、別の所に行くべきだろうか」と思案します。みこころを知る道はただひとつ、それは今、神があなたに求めておられること、すなわち現在の義務をきちんと果たし、次のステップが明らかになるのを待つことです。既に示されていることに従う中で私たちは強められ、次のステップに向かうことができます。飛び級はありません。私たちは、一歩ずつ前進します。神とともに歩むことを、こうやって学んでいくのです。

うなる思い

ずっと昔、父とテキサス州のビッグ・ベンドをハイキングしました。そこは現在、国立公園ですが、当時は荒れ地でした。ある晩、寝袋を出していると犬を連れた夫婦がやって来て、近くにテントを張りたいと言ってきました。私たちは、どうぞと言って彼らを歓迎し、やがて夜になりました。彼らは、犬を自分たちのテント脇の金具につなぎ、眠りについたのです。

知恵はどこで見つかるか

知恵は神聖さの表れであり美しさです。ヤコブによると、知恵は、道理にかなった柔軟性のあるものです。寛大に赦し、平和に満ち、面倒見が良いこと。ちょっと立ち寄って親切に何かをしたり、やさしい言葉をかけたりすることです。知恵は、心の底から謙虚であり、表裏がなく純粋、やさしく上品で、恵み深いことです(ヤコ3:17)。

主われを愛す

我が家の老犬は、寒い日には庭を歩き回って陽のあたる場所を見つけます。そして、草の上に足を伸ばして寝そべり、日向ぼっこをします。

愛と祈り

子どもに人気の童話の主人公「クマのプーさん」は、カンガルーのカンガが飛び跳ねて行くのを見て思います。「僕もあんな風に跳べたらなあ。できる人とできない人がいる。それが現実というものだ。」