神が見るもの
居間の窓から野原が見えます。朝、鷹やフクロウが、羽を休めているのを見かけます。ある時は、高い枝にハゲタカがとまっていました。「朝ごはん」を物色中にも見えましたが、その姿はまさに「帝王」でした。
芸術作品
祖母は手芸が得意で、私の人生の節目にはいつも手作りのお祝いをくれました。高校卒業時にはモヘアのセーター、結婚祝いにはキルトをもらいました。そして裏には「祖母より愛を込めて」と刺繍されていました。それを読むと彼女の愛と将来に対する希望を感じました。
文脈を外れて
搭乗口で肩を叩かれました。「エリサ、覚えている?ジョアンよ!」 昔の隣人、前の同僚など、色々な「ジョアン」が頭の中を駆け巡りました。彼女は私の困惑を見て「高校の同級生よ」と言いました。すると、金曜日のフットボールの試合で一緒に声援を送った記憶がよみがえってきました。文脈が明らかになって、誰なのか分かりました。
無限の愛
ガンガン、カチカチという機械音の中に横たわり、指示されるまま息を止めました。MRIは珍しい検査ではありませんが、私は閉所恐怖症なので、気持ちを何か、否、むしろ誰かに向ける必要があります。そのとき「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか…」(エペ3:18)というみことばが、機械のリズムに合わせて頭の中で踊り出しました。使徒パウロは、エペソの教会のために祈りつつ、神の愛の広がりが無限であることを強調しました。
赤ちゃんを願う木
クリスマスツリーを飾り付け「赤ちゃんを願う木」と名づけました。私たち夫婦は、4年以上も前から養子縁組を望んでいました。今年のクリスマスこそ、子どもを迎えたいのです。私は毎朝、ツリーの前で祈りました。ところが12月21日、それは不可能だと知らされました。私はツリーの前にたたずみました。これは神の備えの象徴です。疑念が心をかすめます。神は今も変わらず良いお方だろうか、私は何か間違いを犯したのだろうか、と…。
厳しいことを言う
以前、車で80キロの道のりを、在宅勤務の社員のもとに向かったことがありました。彼が会社の信用にかかわる間違った情報を流しているという報告を受け、厳しいことを言いに出かけました。
きらめく
英国の子守歌『きらきら星』の歌詞は、神が創造された宇宙の不思議を語るジェーン・テイラーの詩をもとにしています。また、後半の歌詞はあまり知られていませんが「明るく小さな輝きが闇の中の旅人を照らす」と述べて、星は道案内役です。
心の飢え
夫が運転する車で携帯のメールを読んでいると、近所の店の広告が画面に現れて驚きました。つい先程通り過ぎた右側のドーナツ店です。急におなかが鳴りました。テクノロジーを使って客寄せができるとはびっくりです。
痛みを隠す
ある教会に招かれて講演をしました。主題は、神の御前に正直になる、自分の傷を隠さない、そして神の癒しを受け取る、ということでした。話の最後に祈ろうとすると、教会の牧師が中央の通路に立ち、会衆を見つめて言いました。「私は皆さんの牧師なので、平日には皆さんの悩みや悲しみに耳を傾けます。そして日曜日になると、その辛さを隠して礼拝に集う皆さんを見て心を痛めています。」