痛みを隠す
ある教会に招かれて講演をしました。主題は、神の御前に正直になる、自分の傷を隠さない、そして神の癒しを受け取る、ということでした。話の最後に祈ろうとすると、教会の牧師が中央の通路に立ち、会衆を見つめて言いました。「私は皆さんの牧師なので、平日には皆さんの悩みや悲しみに耳を傾けます。そして日曜日になると、その辛さを隠して礼拝に集う皆さんを見て心を痛めています。」
止まれ
私は友人と波の音がする砂浜に座りました。夕日が遠くに沈む中、伸ばした足の先に波が寄せては返していきます。彼女は微笑んで「海が好きよ。波が動いてくれるから。私は動かなくていいもの」と言いました。何という発想でしょう。多くの人たちは止まりたくても止まれないというのに…。
木の上
子猫のベルベットは、パンを盗み食いしているところを母に見つかり、家から追い出されました。ところが、庭を探しても見つかりません。か弱い鳴き声が聞こえて見渡すと、柳の木のてっぺんにいるではないですか。
どこまでも
結婚式の写真を見ると、私は「どこまでも彼について行きます」という顔をしています。私たちは夫婦になって40年近く経ちます。良い時も大変な時もありましたが、互いに対する愛と献身で強く結ばれています。私は年ごとに「どこまでも彼について行きます」と献身の決意を新たにしてきました。
伝統を受け継ぐ
携帯の着信音が鳴りました。娘からメールです。ペパーミント・アイスクリーム・パイのレシピを送って欲しいとのこと。私は古いレシピ箱のカードを繰って祖母のレシピを探しました。祖母の筆跡、また母の書き込みにも目が留まりました。このペパーミント・アイスクリーム・パイのレシピは、今、4世代にわたって受け継がれようとしています。
祝福のバスケット
パソコンで仕事をしているとメールの着信音がしました。普段はすぐにメールを開くという誘惑にあらがっているのですが「あなたは祝福です」というタイトルに引き寄せられました。そこで、それを開いてみると、遠方の友人が私たち家族のために祈ってくれているというメッセージでした。彼女は、毎週、台所にある「祝福のバスケット」から友人や知人の写真を撮って壁に貼り出し、その家族のために祈るのです。そのメールには「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し…」というピリピ1章3節のみことばが書かれ、私たちが神の愛を頑張って伝えていることについて「福音の同志」だと述べていました。
普段の生活
食料品をトランクに積み込み、ゆっくり車を出そうとすると、突然、男の人が前を横切りました。こちらに全く気づいていません。とっさにブレーキを踏み、止まりました。その人はびっくりして顔を上げ、私と視線が合いました。むっとするか、「大丈夫よ」と笑顔を向けるか、それは私の選択です。私は笑顔を選びました。彼の顔に安堵と感謝の表情が浮かびました。
人間らしさ
警察官は地域の安全のためにある種の権限を与えられていますが、その巡査は偉ぶりもせず、自分たちは「危機の中にいる人と共に働く人間」だと言いました。彼の謙遜な態度は、ローマ帝国の迫害に苦しんでいた仲間に向けられた使徒ペテロの言葉を思い出させます。
安全な場所
娘は私といっしょに親戚の集まりに出かけることになり、長旅に不安そうでした。そこで運転手役を買って出ると、彼女は「そうね。でも、私の車の方が安心なのだけれど… お母さん、運転できる?」と言いました。私は、娘が自分のゆったりした車で行きたいのかしらと思って「私の車じゃ狭苦しい?」と尋ねました。すると彼女は「そうじゃないけれど、自分の車は私にとって安全な場所なの。守られているみたいに感じるのよ」と言いました。