緑のペストリーと神の臨在
孫が泊まった夜のことです。彼の聖書の詩編23編にしおりが挟まれていたので、読もうと言うと、前に読んだ箇所だと言います。新しい発見があるかもしれないよ、と言うと、彼は読み出しました。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを緑のペストリーに休ませ……」私はすぐに、パイやタルトのお菓子じゃないよ、「パスチャー」、牧場だよ、と説明しました。実は日中、おやつのペストリーを買ったのです。ベーカリーは楽しい休息の場所、というのが、彼の解釈のようでした。
神の回答
娘が7歳だった時、「私を生んだ母さんの名前は何というの?」と尋ねました。突然の無垢な問いに動揺しました。「どうしよう。答えられない!」養子縁組の際に与えられた親の情報は、身長、体重、年齢、髪と目の色だけだったのです。私は心の中で祈りました。「主よ、何と言えばいいでしょう?」すると、私の口は「どんな名前だったらいい?」と勝手に動き、娘は「マデリン!」と、満面の笑みで答えました。「じゃあ、マデリンね!」と、私は言い、神が助けてくださったと確信しました。
良き羊飼いに聞く
ネット銀行の口座から身に覚えのない出金が2度行われていました。慌てて銀行に電話すると、個人情報が盗まれたことが分かりました。銀行に助けてもらって信用情報を回復し、再度被害に遭わないようにセキュリティ対策を強化しました。
思いやりの行為と聖餐式
以前、腕を骨折した時、思いがけず、友人のレックスから冷凍スープの詰め合わせが送られてきました。美しい銀のレードルも一緒に。腕が治り、レックスが帰天した今も、彼の配慮を思い出します。これを使うたびに、神の愛が、人の温かい行為を通して示されたことに感謝します。
名もなき女性たち
シェリアは、テーブルを除菌クリーナーで拭き、使用済みの紙コップや紙皿の入ったごみ袋を結ぶと、それを手に部屋を見渡しました。教会の集会後の掃除担当として、最終確認をしたのです。その時、ある思いが心をよぎりました。「私の奉仕なんて、気付いてくれる人はいるのかしら」
歩いて祈る
デボーション・エッセイを半分書いたところで、考えがまとまらなくなり行き詰まりました。そこで「神よ、どうすべきでしょう」と祈りました。歩くと創造性が平均60%高まるというリサーチ結果があることを思い出し、私は、散歩に出かけて、神との対話を続けました。30分ほど歩くと頭がスッキリしました。そしてパソコンの前に戻り、エッセイの後半を書きました。
イエスのように
小型機の狭い通路にぬっと立ち上がった人は、『イエスのようになれ』という本をこれみよがしに持っていました。しかし、他の人を押しのけて荷物カートから自分のバッグを取っているのを目撃したのです。イエスの行動とは正反対です。
もうへとへと
未就学児の親たちが心身ともにくつろげる場所を提供する働きをした時、育児に疲れた自分たちをイメージするものは何だろうと思いました。ふと見ると、飲み終わった紙パックのジュースがあります。全てを出し尽くしてへこんでしまう。幼い子の母親たちは、そんなふうに感じるときがあります。私たちは、そういう人たちと共に命の水の源、主イエスのもとに憩う働きをしていました。
ペテン師症候群
自分は見かけほど有能ではないと感じ、それがいつかバレてしまうと不安。そんなことはありませんか。実は、そういう人は多いのです。1970年代の終わり頃、二人の研究者がこの心理を「ペテン師症候群」と名付けました。社会的に認められた優秀な人でさえ自分の至らなさに苦しみます。本当の自分を知ったら、相手はひどく幻滅するだろうと心配するのです。