とこしえに真実なお方
米国史上最悪の森林火災の一つと言われるのは、ウィスコンシン州北東部のペシュティーゴ火災です。有名なシカゴ大火の同夜(1871年10月8日)に発生したせいであまり知られていませんが、シカゴ大火より数百人以上多くの死者を出しました。ペシュティーゴは急成長中の製材業の町で、木造建築が建ち並んでいました。猛火は突風にあおられ、1時間も経たない間に町を焼き尽くしました。後に残ったのは焦げた陶器やレンガ窯などでしたが、その中に何と小さな開いたままの聖書があります。表紙は焦げ、熱でページは炭化していますが、原型を留めています。それは現在、市内の博物館に展示されています。
祈る愛
友人のラヒムは、母親の祈りがなければ、今頃、死んでいたかもしれないと言います。以前は薬物常用者で、麻薬密売で刑務所に収監されたこともあります。彼はカフェで、母親の祈りに助けられたと話してくれました。「すごく悲しませたのに、母は愛し祈り続けてくれた。僕はひどい状態で、母の祈りがなければ、あんなものでは済まなかっただろう」
憐れみ深い
友人のビルは昔、はしごから落ちて、胸から下がまひ状態です。今度は、手術中に重度の感染症にかかりました。入院中の彼から新たな試練の経緯を聞いていると、「傷跡を見せようか?」と毛布を持ち上げました。そこには治療のために切開した大きな傷跡がありました。「痛い?」と聞くと「感覚はないよ」と答えました。
極め付きの驚き
映画『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公のレイ・キンセラは、若き野球選手時代の亡き父に会います。初めて彼を見た時、レイは妻アニーにこう言います「僕は人生に疲れた父さんしか見たことがなかった。ねぇ……何て声を掛けたらいいんだ」。亡くなった大切な人の元気だった時の姿に会えるとしたら、それはどんな感じでしょう。
再出発は神から
ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルが、人生の軌道修正をしたきっかけは、彼の死を誤って報じた新聞記事だったかもしれません。「死の商人、死す」。実際に亡くなったのは兄のリュドビックでした。彼はこの時、自分は多くの人命を奪う発明をした人物として世に知られていると気付きました。そして、人類に貢献した人々をたたえる団体を設立するために、ほとんどの財産を寄付しました。それが、現在の「ノーベル賞」です。
父の宝物
それは何の変哲もないポケットナイフで、古くて変色し、劣化もしています。刃は欠け、持ち手もぐらつきますが、父の宝物でした。私の手に渡るまでは、箱に入れて実家の戸棚に大事にしまってあった祖父の遺品です。私の父は、若い頃に自分の父親と死別しました。父親が大好きだったので、思い出の品を大切にしたのです。
神に関する誤解
ミケランジェロが1515年に完成させたモーセ像には、額の上から突き出る2本の角があります。それは多くの中世やルネッサンス期の芸術家に共通の描写ですが、その理由は当時の聖書の訳です。ヘブル語で「角」は「光線」を意味します。神の前に出た後、モーセの顔は輝いていました(出34:29参照)。それを、ラテン語のウルガタ聖書は「角」と直訳したために、モーセは誤解されたのです。
神は御顔を向ける
ジョアニーの夫は、妻と幼い子どもたちを捨てて、他の女の元に去りました。「時々、透明人間みたいって思う」。彼女の言葉は空しく響きました。「人生の最も良い時を彼にささげた。今では、私のことを見たり、時間を取って知ろうとする人もいないでしょう?」友人は気の毒に思うと答え、こう続けました。「私の父も私が6歳の時に出ていったからつらかった。特に母は。でも、ある夜、私を寝かしつけながら『神さまは決して目を閉じないよ』って言ったことを、決して忘れない。少し大きくなると、神は私を愛していて、常に、私が眠っている時でさえ、見守ってくれていることを教えようと思った、って説明してくれたのよ」
神との新しい始まり
レンブラントが1633年に描いた『キリスト昇架』には、イエスがはりつけにされた十字架を立てようとする4人の男が描かれています。その一人に光が当たっていますが、彼の服装はイエスではなく、レンブラントの時代のもので、彼が好んだ帽子をかぶっています。顔立ちもレンブラント自身のようで、「私の罪がイエスを殺した」と言わんばかりです。