アビガイルの嘆願
ダビデは、協力を拒否して無礼を働いたナバルを探し出すため、部下400人とともに出陣しました。途中でナバルの妻アビガイルに会わなかったら、ナバルを殺していたでしょう。アビガイルは惨事を食い止めようと、ダビデの兵士を養うに十分な食料を携えて、彼に会いに出かけました。そして、復讐を実行したなら罪悪感に悩まされるだけだと、礼を尽くして説得しました(Ⅰサム25:31)。ダビデは、彼女が正しいと納得して、その良い判断をほめました。
光に向かっていく
ある日、ピンクのチューリップの花束をもらいました。花瓶に入れると、花たちは太い茎の先でゆらゆら揺れました。テーブルの真ん中に置いたのですが、翌日、花は違った方向に向いていました。昨日は上を向いていた花が横を向いて、窓から差し込む太陽の光に向かって身を伸ばしていました。
もっとよく見たい
子どもの頃、木登りが大好きでした。登るほどに眺めがよかったので、時には枝がしなるところまで登ったりもしました。しかし、それは昔のことです。もう、大人なのですから。
すべてにまさるイエス
ある日、友人の息子は、制服の上にあるチームのジャージを着ていくことにしました。そのチームの大切な試合が夜にあるので、応援する気持ちを表そうとしたのです。そして家を出るとき、一番上に身に着けたのは、「イエス」と書かれたペンダントでした。この何気ない行動は、深い真理を示しています。つまり、キリストは私たちの生活の中で、一番を占めるということです。
また必ず
あなたと私の共通点はともに、乱れ、汚れた世界に住んでいて、それ以外の世界を知らないことです。しかし、アダムとエバは、罪が入る前の世界を知っていました。彼らは死や苦しみ、痛みの無い、神の創造された世界を覚えていたはずです(創3:16-19)。失楽園以前のエデンには、飢えや病気、失業は存在せず、神の創造の力や、人間関係における神のご計画について、疑うものは誰もいませんでした。
これは何だろう?
母は何十年も日曜学校で教えていました。ある時、神が荒野でイスラエルの民に食べ物を与えられたことを子どもたちにリアルに説明しようと、パンを小さく切り、その上に蜂蜜を塗って、「マナもどき」を作りました。「その味は蜜を入れたせんべいのようであった」(出16:31)と、聖書に書いてあるからです。
子どものためのレッスン
学校の給食時間に困ったことが起きていると小学生の娘が言うので、即座に、どうやって助けてやろうかと思いました。しかし、ふと別の考えが浮かびました。もしかして神は、ご自分が生きて働かれるお方であることを私の娘に教えて、娘の信仰を成長させようとされているのかもしれない…。それで、実際に助けるのではなく、娘といっしょに祈ることにしました。すると、問題は、私の助けなしに解決しました。
どうぞお先に
チベット出身のシェルパ、ナワン・ゴンブとアメリカ人の登山家、ジム・ウィッタカーは、1963年5月1日にエベレストに登頂しました。山頂が近づいたとき、ふたりはそれぞれ思いました。頂上の土を先に踏んだ方が栄誉を受ける…。ウイッタカーはゴンブに先に行くようにと言いましたが、ゴンブは「ジムさん、あなたが先ですよ」と笑顔で辞退しました。それで、同時に山頂の土を踏むことにしたのです。
避難場所
カナダのバンクーバーに、ホームレスの新たな簡易宿泊施設ができました。地元の福祉団体「レインシティー・ハウジング」が特別なベンチを開発しました。このベンチは、背の部分を引き上げると屋根になり、雨風をしのぐことができます。暗くなると、「ここは寝室」という蛍光文字が浮かび上がるので、簡単に見つけることができます。