寄稿者

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John Blase

John Blase

ジョン・ブレイズ氏は、説教者として10年以上の経験を経て、執筆を始めました。コロラド州コロラドスプリングスにあるWaterBrook & Multnomah Publishersにて開発編集者として働いています。アメリカ南部出身ですが、現在は西部在住です。著書に、The Jubilee: Poems; Know When to Hold‘Em: The High Stakes Game of Fatherhood; Touching Wonder: Recapturing the Awe of Christmas; and All Is Grace: A Ragamuffin Memoir等があります。ブレイズ氏は、美しい妻と妻に似た3人の子どもに恵まれて幸せ者だと言います。

寄稿一覧 John Blase

イエスによる平和

綱渡り芸人のフィリップ・プティは、1971年、パリのノートルダム大聖堂の塔の間で綱渡りをして有名になりました。3年後、当時のニューヨークの摩天楼の象徴だったツインタワーの間を無断で渡り、逮捕されました。しかし1987年、彼はエルサレム市長テディ・コレックに招待され、イスラエル・フェスティバルの一環として、ヒンノム谷で綱渡りをしました。綱の中ほどでは、平和の美しい象徴として鳩を放ちました。危険で風変りな離れ業でしたが、大義名分は平和でした。「全群衆が一瞬、互いの違いを忘れていた」と後に語っています。

なお実を結ぶ

こんな民話があります。毎日、長いさおの一方には新しく丈夫なおけ、もう片方には古いひびの入ったおけをかけて、川に水くみに行く女の人がいました。家に帰ると、新しいおけは水でいっぱいなのに、古いおけは、ほとんど空でした。古いおけは、申し訳ないと謝りました。彼女は振り返り、通ってきた道を指さして言いました。「古いおけさん、見てごらん。あなたが通った道にはたくさん花が咲いている。あなたが水をあげて花の小道を作るから、この水くみ仕事も苦にはならないわ」

本当っぽく見えるうそ

素晴らしい撮影技術と感動的な音楽。その内容は驚きと共感を呼ぶものでした。レッドウッドの木にアドレナリンに似た物質を注射し、休眠状態を妨げた研究のビデオです。自然の循環である「冬」を奪われた木は枯れてしまいました。

山を乗り越えて

こんなことわざを聞いたことがありますか。「速く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」。素敵だと思いませんか。でも、これが真実だという確かな裏付けはあるのでしょうか。英米の研究者によると、目の前にある山を誰かと一緒に見るときは、同じ山を一人で見るときよりも、かなり小さく感じるのだそうです。つまり、助け合いには意味がある、山を小さく見せる力さえ持っているということです。

思い出す練習

名前や日付などを度忘れしたせいで、話が途切れてしまったことはありませんか。私たちは、記憶力は年齢とともに衰えていくものだと思っています。しかし、最近の研究は、その見解を支持していません。実際のところ、問題なのは記憶する力ではなく、記憶を呼び起こす力なのだそうです。定期的に何らかの練習を行わないなら、記憶にアクセスする力は衰えていきます。

指標となる言葉

著名な神学者J.I.パッカーは、2020年、94歳の誕生日を目前に召天しました。代表作「神について」(初版1973年、邦訳版1978年)は、150万部以上を売り上げています。彼は聖書の権威とイエス中心という弟子の生き方を真面目に貫くように教えました。晩年、教会に宛てての遺言を問われて「全ての道で主に栄光を帰すように」と簡潔に答えました。

渇望と感謝

死ぬまでにやっておきたいことの一つに挙げていた、グランドキャニオンでのハイキングに、2人の友人と出発しました。しばらくすると、水は十分かしらと不安になりました。そして案の定、道のりはまだ長いのに水が尽きてしまいました。浅い息に祈りが交じりました。しかし、曲がり角を曲がった時、奇跡が起こりました。岩の裂け目に3本の水のボトルが、メモと一緒に押し込まれていました。「これが必要ですよね。どうぞ遠慮なく!」私たちは、信じられないと互いに顔を見合わせ、小声で神に感謝をささげ、渇ききった喉を潤そうと、その水を口に含みました。そして、残りの道を歩みましたが、人生であれほど渇いたことも、感謝したこともありません。

年長者の提言

ジョージ・サンダースは、米国のベストセラー作家です。2013年のシラキュース大学卒業式の祝辞で「私が後悔していることは?」という問いに答えるかたちで語りました。年配の人が己の後悔を若い卒業生に分かち合うことで、そこから何かを学んでもらおうというのです。彼は、まずありがちな話、例えば貧しかったことやひどい労働環境で働いたことなどを挙げましたが、それらについては大して後悔していないと述べました。彼の後悔は、親切を怠ったこと。親切にすべきだった時にできなかったことだと語りました。

イエスのように愛する

ドン・ジュゼッペ・ベラルデッリは、イタリアのカスニーゴという町の司祭で「皆に愛された人」でした。いつも「平安で良い日でありますように」とあいさつをして町中を古いバイクで回り、人々のために精力的に働きました。しかし、晩年は健康問題を抱え、コロナに罹患(りかん)するとそれが悪化しました。地域の人たちは彼のために人工呼吸器を購入しましたが、病状が深刻になると、彼は人工呼吸器の利用を拒み、それを若い患者に使うようにと言いました。その決断に驚く人は皆無でした。他者に対する愛を賞賛され、皆に愛された人だったからです。