寄稿者

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John Blase

John Blase

ジョン・ブレイズ氏は、説教者として10年以上の経験を経て、執筆を始めました。コロラド州コロラドスプリングスにあるWaterBrook & Multnomah Publishersにて開発編集者として働いています。アメリカ南部出身ですが、現在は西部在住です。著書に、The Jubilee: Poems; Know When to Hold‘Em: The High Stakes Game of Fatherhood; Touching Wonder: Recapturing the Awe of Christmas; and All Is Grace: A Ragamuffin Memoir等があります。ブレイズ氏は、美しい妻と妻に似た3人の子どもに恵まれて幸せ者だと言います。

寄稿一覧 John Blase

思い切った愛の形

ダニエルは生まれるやルーマニアの孤児院に入れられ、7年間の育児放棄の後、8歳で外国人夫婦の養子になりました。養父母は、愛着障害の可能性を認識していました。ダニエルは少しずつ両親になついていきましたが、衝動的な怒りを制御できません。その攻撃性は、ボディーガードが必要なほどでした。ついに両親は、専門家の評価が分かれる治療法に挑戦する決断をしました。それは、息子がどんなに暴れても、危険を承知で、そばにいるというものでした。それから5年間、両親は耐えたのです。そして13歳の誕生日。ダニエルは泣き崩れ、とても愛している、と彼らに告白しました。母親は、過去を振り返り「愛を創り出すことは、やわで繊細な人間には不向きです。愛は戦場なのです」と言いました。

イエス―私たちの身代わり

米国で南北戦争(1861-65年)が長引くと、両軍は兵力不足で、徴兵に頼らざるを得なくなりました。しかし、南部連合の法律では自分の代わりを雇うことで兵役が免除されました。代替兵は、徴兵年齢に達していない、またはそれを超えた人たちです。兵役を逃れる人は、通常、手数料を政府に、多額のお金を代替兵に払いました。代替兵を雇えたのは金持ちだけでした。

神の御言葉は永遠

鉄鋼業で成功した実業家チャールズ・シュワブは、当時のニューヨーク市で最も豪華となる邸宅を建てようと決意しました。リバーサイド通りの1ブロックを占める大きな土地、フランスの古城から着想を得た、緑豊かな庭園、大広間、豪華な内装。それは1906年に竣工しましたが、間もなくマンハッタンを象徴することとなる高層マンション群とは対照的でした。シュワブの死後、この邸宅は、なかなか買い手がつきませんでした。広すぎて、売値が高すぎ、当時の売れ筋に一致しなかったからです。この邸宅は1948年に取り壊され、大邸宅もその持ち主の記憶も消え失せていきました。

ゆっくりと怒る

長時間一つのことを放送するテレビ番組を「スローテレビ」といいます。通常は、リアルタイムで、です。2009年、ノルウエー放送協会が7時間の列車旅を放映して、このジャンルが人気を博すようになりました。7時間の列車の旅をただ見るのは、退屈なようですが、美しい車窓の旅に魅せられた人たちがいたのです。

憂いを超えて

カナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットは「エドモンド・フィッツジェラルド号の難破」や「心に秘めた想い」という不朽の名作で知られていますが、それほど有名でない曲の一つに「暁の吟遊詩人」があります。吟遊詩人とは楽器を奏でて自作の詩を歌い各地を巡る旅芸人です。「暁の吟遊詩人」も私たち同様、憂いではなく幸せを願っています。憂いや悩みはなくなりません。しかし、彼は、新しい朝が明けると、くよくよせず幸せを見つめるという選択をして、そのことを歌にします。

不安のない存在

ユダヤ教のラビで家族療法士のエドウィン・フリードマンは、1985年の著書『世代から世代へ』の中で、「不安のない存在」という概念を説明しました。その理論は、後に出版された『神経の不全』の中で明確に述べられています。「現代の米国は、慢性的に不安に陥っている。感情的に後ろ向きの社会は、明確に定義されたリーダーシップにとって有害だ」。フリードマンは、慢性的な不安が組織、すなわち、家庭、職場、信仰者の共同体にまん延するように、リーダーの非不安的な在り方もまた、組織に広がることに注目しました。それは嵐の中の安心の要となります。

神の美しい世界

我が子に先立たれることほど悲惨なことはありません。それも一人ではなく二人も。しかし、この悲しみを、作家や俳優でもあるオーストラリアのミュージシャン、ニック・ケイブは経験しました。彼の15歳の息子は2015年に崖から転落して亡くなり、数年後に長男も失いました。ケイブ夫妻はこれほどの悲劇をどのように耐え忍んだのでしょう。あなたならどうしますか。

正直に、具体的に

木曜日の夕方、車の中でブレンダとエディの恒例の会話が始まります。「どこで食べる?」「どこでもいい」。「じゃあ、ウインドミルはどう?」「ダメ。そこ以外」。「じゃあどこにする?」「だからどこでもいいってば!」

神の恵みは十分です

フラナリー・オコナーは、米国南部を代表する小説家の一人で、人の苦しみと神の恩寵(おんちょう)を描いています。15歳で最愛の父を難病で亡くしました。小説を書くことに没頭して傷心に耐え、最初の小説を発表しました。そして父と同じ病を患い、39歳の若さで亡くなりました。彼女の作品には自身の苦悩が色濃く反映されています。作家のアリス・マクダーモットによれば「この病が、彼女を彼女たる作家にした」のです。