寄稿者

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John Blase

John Blase

ジョン・ブレイズ氏は、説教者として10年以上の経験を経て、執筆を始めました。コロラド州コロラドスプリングスにあるWaterBrook & Multnomah Publishersにて開発編集者として働いています。アメリカ南部出身ですが、現在は西部在住です。著書に、The Jubilee: Poems; Know When to Hold‘Em: The High Stakes Game of Fatherhood; Touching Wonder: Recapturing the Awe of Christmas; and All Is Grace: A Ragamuffin Memoir等があります。ブレイズ氏は、美しい妻と妻に似た3人の子どもに恵まれて幸せ者だと言います。

寄稿一覧 John Blase

イエスのように愛する

ドン・ジュゼッペ・ベラルデッリは、イタリアのカスニーゴという町の司祭で「皆に愛された人」でした。いつも「平安で良い日でありますように」とあいさつをして町中を古いバイクで回り、人々のために精力的に働きました。しかし、晩年は健康問題を抱え、コロナに罹患(りかん)するとそれが悪化しました。地域の人たちは彼のために人工呼吸器を購入しましたが、病状が深刻になると、彼は人工呼吸器の利用を拒み、それを若い患者に使うようにと言いました。その決断に驚く人は皆無でした。他者に対する愛を賞賛され、皆に愛された人だったからです。

神に叫び求める

ラッセル・ムーア博士は、養子を迎えるため家族で養護施設を訪ねた時、赤ん坊が保育されている部屋は驚くほど静かだったと記しています。ベビーベッドの赤ちゃんは全く泣きません。それは要求が無いからではなく、泣いてもケアしてくれる人は無いと悟っていたからです。

いつくしみ深き友

しばらく会えない間に、旧友はがんだと告知され、治療を始めました。彼の住む州に行く用事が思いがけずでき、再会することになりました。待ち合わせの店に入り、顔を合わせるや、2人の目に涙が溢れました。もう長く同じ部屋で語らっていません。そして今、死の気配が人生のはかなさを暗示しています。一緒に笑ったり、ふざけたり、冒険したり、泣いたり……。長年の数々の思い出がよみがえり、涙がとめどなく溢れました。見つめ合う目から流れるのは、互いの間にある大きな愛でした。

われらの避け所

そこは元々、バッファローが住む原野でした。やがてバイソンを追いかけてきた先住民の土地となり、次に入植者が来て牛を飼い、農耕を始めました。第2次世界大戦の真珠湾攻撃以後は化学兵器の製造場所になり、東西冷戦時代には、兵器の廃棄場所になりました。しかし、ある日、ハクトウワシの巣が発見され、ロッキーマウンテン・アーセナル国立野生生物保護区が誕生しました。コロラド州の大都市デンバーに隣接した広大な地域で、草原、湿地、森林を含めて65平方キロメートルの広さです。都会の自然保護区としては米国で最大の規模を誇り、黒足フェレット、アナホリフクロウ、ハクトウワシ、バッファローなど、300種以上の野生動物が安全に暮らしている場所です。

つながっている

マデレイン・レングルは、週1回、母親と電話していましたが、母親の晩年には、より頻繁に電話をかけました。ただ声を聞くためです。マデレインはまた、自分の子どもたちが電話をしてくるのも好きでした。時には真剣な話題を語り合うこともありましたが、電話番号が変わっていないことを確認するためだけということもありました。彼女は、著書『水の上を歩く』の中で「子どもが親に連絡するのは良いことです。神の子である私たちが、天の父なるお方に連絡するのは良いことです」と書いています。

励ましの水

それを私は「緑の奇跡」と呼んでいます。もう15年以上、毎春、現れます。我が家の庭は冬の間にすっかり茶色くなるので、通りすがりの人には再起不能に見えます。コロラドの山岳地帯は雪が降りますが、ロッキー山脈の東側の平地は乾燥していて、暖かい季節には度々干ばつの警報が出るほどです。しかし、毎年5月末にスプリンクラーの水をちょろちょろ流し続けると、2週間ほどで芽吹きが始まり、干からびた地は青々とした庭に変化します。

しかし、わたしは言います

少年時代、「みんながどうかは分かった。でも、うちはね……」と、母によく言われました。日々の同調圧力に迎合しないことを教えたのです。大人になっても、周りに流されがちなことには変わりません。例えば、「前向きないい人とだけ付き合えばよい」と、最近は言われますが、「イエス様もそうするかしら」と、まず問うべきでしょう。

神は

両手いっぱいに荷物を抱えた男性が、20メートルほど先を歩いていましたが、つまずいて転び、荷物が散乱しました。周りの人が助け起こし、物も拾ってあげ、彼は歩き出しましたが、後ろにいた私は、財布が落ちていることに気付きました。そして、それを拾って追いかけました。「すみません!すみません!」と呼び続け、ようやくその人が振り返ると、私は追い付き、財布を渡しました。その時の彼の驚きと安堵(あんど)、感謝の入り混じった表情を、何年も経った今でも鮮明に覚えています。

思いと祈り

祈っていると言われても、本当かしらと思うときがあるでしょう。しかし、エドナ・デイビスの場合は疑う余地がありません。信号機が1箇所にしかない小さな町の住人は皆、名前が各ページにびっしり記されたエドナの黄色いノートを知っていました。彼女は毎朝早く、声を上げて祈りました。全員の願いがかなったわけではありません。しかし、神にしかできないことが起きたと彼女の葬儀で証言した人たちは、それがエドナの熱心な祈りのおかげだったと信じていました。