賛美の理由
自分を律することを重んじる私にとって、それは大失態でした。何をしたかと言うと、居眠りです。わが家の子どもたちには門限があり、私は必ず起きて、彼らの帰宅を待つことにしています。彼らは皆、良い子なので、その必要は無いのですが、無事戻ったことを確認したいのです。それは私の選択です。しかしある晩、「パパ、無事に帰ったわ。もう寝てちょうだい」という笑顔の娘の声で目を覚ましました。頑張る気はあっても、父は、恥ずかしながら、持ち場で居眠りをしました。それが人間なのです。
何を誇るのか
本物とは何でしょう。童話「ビロードのうさぎ」は、この大きな問いに答えています。坊やのもとに来たビロードのうさぎが、愛されることによって本物になるお話です。子ども部屋のおもちゃの中に、古くて賢いウマがいます。それは「機械仕掛けのおもちゃがやって来ては、威張ってふんぞり返って歩く。でも、やがて壊れて…消えていく」と語ります。機械仕掛けのおもちゃは形も音も素晴らしい。しかし、彼らの自慢は、愛の前には無力でした。
言行一致
牧師であり作家でもあるユージン・ピーターソンは、スイスの著名な精神科医ポール・トゥルニエの講演を聞きました。彼はトゥルニエの著書を何冊も読み、彼の癒しに対するアプローチに感銘を受けていました。そして、この講演に大いに感動しました。トゥルニエは、自分が語っ たように生き、生きたままを語っていると感じたからです。ピーターソンは、これを最もよく表す言葉は「コングルーエンス」だと言いました。
チャンスを逃さないで
週の半ば、祈り会が始まる前、私たちは前の晩の中秋の名月の話をしていました。月は地平線の上に鎮座しているかのように、大きく際立っていました。白髪のウェッブさんは、その場にいた最年長者でした。彼女は、神の壮大な自然を心から愛していました。当時、私たち夫婦は、ふたりの幼い子どもを育てていたので、彼女は助言をしたいと思ったのでしょう。「赤ちゃんに月を見せるチャンスを逃さないでね」と言いました。
生きている記念碑
私が育った教会には、家族や友人が亡くなったときに、その人を記念した長椅子や絵画を寄贈するという伝統がありました。亡き人の名前が鮮やかな人生の思い出とともに小さな金色の板に刻まれ、良い記念だと思っています。一方で、それが無機質な物体であるがゆえに、文字通りの意味では「生きていない」とも思ってしまいます。この記念碑に生命を吹き込むことはできるでしょうか。
希望を取り戻す
太陽は東から昇るか、空は青いか、海水はしょっぱいか、コバルトの原子量は58.9か…。最後の答えは、科学オタクか雑学が趣味の人しか分からないでしょうが、他のものは、聞くまでもありません。こんな質問には、何らかの皮肉が込められていることが普通です。
状況認識
クリスマス休暇に家族でローマに行きましたが、これほどの混雑に身を置くのは初体験でした。人混みをかき分けてバチカンやコロッ セオを見学したとき、私は「状況認識」を怠らないようにと子どもたちに度々注意しました。つまり、自分の位置と周りの人や状況に気を配るように言ったのです。このご時世、世の中が安全とは言えません。その上、 イヤホンをつけて音楽などを聞いているのですから、周りの状況はますます分かりづらくなります。
私たちとともに
その女性はスーパーの棚の最上段を見上げていました。隣にいる私に全く気づいていません。手の届かない商品にどうしたものかと、没頭している様子でした。私は背が高いので「手伝いましょうか」と声をかけました。するとびっくりした様子で「あらまぁ、あなたに全く気付きませんでした。お願いします」と言いました。
手紙を送る
ルビーは4歳の女の子で、歌ったり踊ったり、遊んだり走ったりするのが大好きでした。ところがある日、両膝が痛くなり医者に見てもらうと、神経芽細胞腫というがんでステージ4だと診断され、直ちに入院しました。