職場でキリストを証しする
上司が「君のお気に入り企画に水を差したことをまだ怒っているの?」と聞くので、エブリンは「いいえ」と答えましたが、彼の軽薄な態度に苛つきました。多様な人材を巻き込んで会社に貢献しようとしたのに、無理でした。彼女は、涙をこらえて、彼の意向に従いました。変化をもたらせなくても、最善を尽くして働くことはできるはずです。
きちんと見てくれた
広辞苑によると「メンター」は、良き指導者、助言者という意味ですが、ハンナ・シェルによれば、良いメンターは、人をきちんと見るそうです。人間の基本的な必要は承認されることですが、それは表彰されたり、有名になったりすることではなく、きちんと見てもらっているという安心感です。人は、尊重され、理解され、信頼されたいのです。
手を差し伸べる
エルビス・サマーズがドアを開けるとスモーキーがいました。空き缶をもらいに来るホームレスの女性です。それを売って暮らしているのです。エルビスは、あることを思いついて寝場所を尋ねると、彼女は、民家の間の狭い空き地に案内しました。彼は気の毒に思い、せめて安全に眠れるようにと簡素な小屋を建ててあげました。そしてクラウドファンディングを使って寄付を集め、いくつかの教会と手を組んで土地を取得し、ホームレスの人たちのためにシェルターを建てました。
状況に左右されない平安
爆竹がはじけたような音がして目覚めると、窓ガラスの破片が散らばっていました。ジョアンは、ひとり暮らしの不安を感じつつ、外の様子をうかがおうと起き上がりました。通りに人影はなく、侵入者の気配もありません。しかし、鏡が割れていました。警察を呼ぶと、ガス管から1センチ離れた所で弾丸が見つかりました。もしガス管に当たっていたら、彼女は死んでいたでしょう。それは後に、近所のアパートで起こった発砲事件の流れ弾だと分かりました。ジョアンは家にいることが怖くなりました。そして、心の平安を祈りました。
すべてに勝る神の愛
父から深夜にメールが届きアリッサは驚きました。それは両親の銀婚式のために、母にしてあげるべきことを記した内容でした。なぜ驚いたかというと、父親は10か月前に亡くなっていたからです。父は闘病中、記念日まで生きられないと悟り、メールの送信スケジュールをセットしていたのです。その上、それ以後の何年分もの誕生日や結婚記念日、バレンタインデーの花束を妻に贈るように手配し、支払いも済ませていました。
嘆いても大丈夫
私はくずおれ、「神様、どうして助けてくれないのですか」と涙を流しました。2020年のコロナ禍の中、私は解雇された上、失業手当の手続きがうまくいかず、政府のコロナ給付金の小切手も届きません。愛の神は、私の生活を守ってくださると心の奥では信じていましたが、一時は見捨てられたように感じました。
心配から自由になる
新型コロナウイルスが、2020年、世界中の人々を不安に陥れました。日本でも何万人もの人が感染し、外出自粛や営業自粛が要請されました。飛行機が運休し、大きなイベントは中止になりました。感染者が出ていない地域の人々も例外ではなく、やはり不安です。専門家は、世の中の否定的なニュースは人々を余計に悲しませ、心配を助長しがちだと言います。心配しない方法について「別のことを考えること」というコメントが、SNSで拡散しました。
主の声を知っている
教会の夏季学校に聖書に登場する動物を持ち込むことになり、ケンが手伝いに行くと、羊を担当するように頼まれました。彼は羊の綱を取ると、まるで引きずるように会場に連れていきました。しかし、日が経つにつれ、羊は嫌がらなくなりました。週の終わりには、綱を引く必要さえなく、ただ呼ぶだけで、ケンを信頼してついてきたのです。
罪深すぎる?
授業で読む小説に聖書の引用があり、それを確かめようと聖書を開きました。すると教授が「私が聖書に触れたら、手が燃えるわ」と言いました。私は悲しくなりました。彼女は、自分は罪深すぎると思っていたようです。私も、神の愛を語れませんでした。いかなる場合でも神に赦しを乞うことは可能だと聖書は語っている、と思い切って言えませんでした。