祝福された健忘症
私の書斎は1階にありますが、2階の部屋にたびたび上がっていき、あれこれと用事をします。ところが困ったことに、2階に行くやいなや、何をしに行こうとしていたのか忘れてしまうことがあります。研究者ガブリエル・ラドヴァンスキーは、この現象についての仮説を立てました。戸口は出来事の境界線だというのです。
見かけ倒し
ヘアーカットをしてくれた美容師が「健康な髪ですね。うちの製品を使ってくださっているのですか」と言いました。私は、「ごめんなさい。安くて香りのよい製品なら何でも使います」と答え、「正しい食事を心がけています。それでかなり違うと思いますよ」と付け加えました。
休息の木
私の仕事場の向かい側のとうもろこし畑には、不思議な光景があります。農場主は一帯の木を切り倒してとうもろこしを育てているのですが、不思議なことに、畑の中に1本だけ木が残っていて大きく枝を広げています。しかし、謎が解けました。その木には目的があったのです。
上から降りる
階段の上にいて降りるのを怖がっている一匹の子犬を、ビデオカメラが映していました。下には「がんばれ」と応援している人たちがいましたが、子犬のデイジーは、どうしてよいのか分かりません。みんなのところに降りて行きたくてたまらないのに、怖がって上でウロウロするばかりです。するとサイモンという大きな犬が助けに行きました。サイモンは階段を上ると、「ほら、簡単だよ」と言わんばかりに降りてみせました。しかし、デイジーはもじもじしています。サイモンはもう一度、今度はゆっくりとやってみせました。そして、デイジーが踏み出すのを待ちます。しかし、デイジーはまだ怖がっていました。サイモンはもう一度、デイジーのそばまで階段を上って行き、降り方を示しました。ついにデイジーは勇気を奮い起こして、前足を出し、後ろ足を前足に引き付けました。その間、サイモンはデイジーのそばから離れませんでした。ついにデイジーは降りることができました。みんな拍手喝采です。
蜜よりも甘い
ディズニー映画の「メリー・ポピンズ」を知っていますか。主人公は魔法の使える「乳母」で、現実ではありえない陽気な話です。こんな映画を楽しんだ古き良き時代を懐かしがっているように聞こえるかもしれませんが、実は違います。私が求めているのは、現実的かつ楽観的な将来のビジョンをもつ人です。メリー・ポピンズが、ひと匙の砂糖があるだけで苦いお薬も簡単に飲めると教えるように、嫌なことの中にも肯定的な一面があることを示してくれる、陽気で創造性豊かな人が大好きなのです。
いのちを選べ
私の人生にとって神のみこころは何だろう。若いころ、ずっと悩んできました。見つけられなかったらどうしようと不安でした。神のみこころは、干草の山に落ちた針のようでした。似たものがいくつもあるし、偽物が圧倒的に多いようにも思われました。
飲料水の買い過ぎ
アメリカ人は、何年もにわたり、ペットボトルの水を飲みすぎています。ほとんどの地域では、水道の蛇口から無料で安全な水が飲めるのに、人々はペットボトルの飲料水を買います。無料で享受できるものにお金を払うなど、私には理解できません。しかし、お金を払ったものは、無料で手に入るものよりもすぐれていると考える人たちがいるのも事実です。
混沌から
何でもよく観察すると、秩序は自然には保てないものだと実感します。自分の事務所を考えても、驚くほどあっという間に乱雑になり、またきれいにするのには、それ相応の時間がかかります。秩序は自然にはできません。秩序を保つには介入が必要です。
ばあ!
赤ん坊の親はよく、「いないいない、ばあ!」をして我が子と遊びます。パパは両手で顔をおおうと、「ばあ!」と言う声とともに突然顔を出して、子どもを驚かせます。すると子どもは、この「恐ろしさ」を面白がってケラケラと笑います。