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寄稿一覧 Karen Huang ( ゲスト寄稿者 )

神の眼差し

シングルマザーのアルマは、早朝が嫌いだと言います。静けさは不安を呼び、家事をしていても、お金の心配や、子どもたちの健康や学業のことを考えてしまうと言います。夫が出て行ってから、女手ひとつでこどもを養育するのは大変だけれども、神が目を留めておられることを信じていると言います。仕事を掛け持ちする体力をくださって日々の必要を賄い、子どもたちが神の教えを毎日受け取るように導いてくださると語ります。

高慢と欺まん

私は「愛する神よ、あなたの思いやり深い懲らしめを感謝します」と小声でつぶやきました。思いあがっていたと認めるのは辛いことでした。次々と仕事が成功して称賛を受ける中で、私は神の導きを拒んで自分の能力に頼っていました。自分の実力などたいしたものではないと難しい局面にぶつかって気付きました。神の助けがなくても大丈夫と、己の高慢さにだまされていたのです。

神は知っておられる

リアは台湾に出稼ぎに行くことにしました。看護師の仕事が少ないマニラより家族のために稼げると思ったのです。出発前夜、5歳の娘を託す妹に教えました。「スプーン1杯のピーナッツバターをあげると、ビタミン剤を飲んでくれるから……、あの子は内気だけど、そのうち、いとこたちと遊ぶようになるわ。あの子は暗いのが怖くて……」

まことのもてなし

私の故郷のフィリピンでは、誰かの家に行くと「もうご飯食べた?」とよく尋ねられます。これは、訪問客に対する厚意と気遣いを示す言葉で、どんな返事をしようとも、何らかの食べ物がふるまわれます。フィリピンの人たちは、本当の思いやりは、お決まりの挨拶を超えて、目に見えるもてなしをすることだと考えています。

神の平安

職場の権力闘争に巻き込まれて、忍耐の数か月を過ごしましたが、心は不思議なほど平安で、不安を感じることなく平静でした。私は生来の心配性です。この平安は、神をおいて他にないと思いました。一方、全てが順調なのに、常に心が騒いでいるという経験をしたこともあります。その原因は、神の力と導きではなく、自分の力に頼っていたからです。振り返ってみると、真の平安、すなわち神の平安は、その時の状況ではなく、神に対する信頼の度合いによると分かります。

生き抜く力

父は2006年に神経系の病気になりました。記憶力低下、言語障害、運動障害が起こり、2011年に寝たきり状態になって以来、母が自宅で介護しています。発症当時は不安で真っ暗闇にいるようでした。私は介護について何も知らず、家計や母の健康も心配でした。

凡庸はあり得ない

アニタは90歳の誕生日に永久に旅立ちましたが、その静けさは、彼女の人生を映すようでした。夫亡き後、子や孫たちを支え、教会の若い女性たちの友でした。特段の才能や偉業があったわけではありませんが、その深い信仰は、周りの人々に影響を与えました。私の友人は、「どうしようと思う問題がある時、頭に浮かぶのは、有名な牧師や作家の言葉ではなく、アニタなら何て言うかしらということなの」と言いました。

必要のすべて

私はワイワイガヤガヤとした部屋の様子をみつめていました。叔父や叔母、いとこや甥、姪、みんなが親睦を楽しんでいます。私も同様でしたが、自分の家庭を持たない唯一の人、という思いが心をよぎり、痛みを感じました。