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寄稿一覧 Karen Huang ( ゲスト寄稿者 )

私の必要は主が賄う

マニラの乗合タクシーの運転手ランドは、道端の屋台でコーヒーを一気に飲みました。コロナによるロックダウンは終わり、通勤客が戻ってきました。今日のスポーツイベントは稼ぎ時です。失った収入を取り戻せる、もう心配しなくていいのだ、と思いました。

口を閉じている限り、自分は悪くない。それが私の態度でした。同僚の言葉を誤解して腹を立てましたが平静を装い、毎日顔を合わせなければならないので、会話は必要最低限に留めました。沈黙が仕返しです。この態度のどこがいけないのでしょう。

主が立ち止まられる時

病気の猫が私の職場近くで箱に入れられ、何日も鳴いていました。道端に捨てられていたことに、誰も気付きませんでした。しかし、道路清掃員のジュンが見つけ、家に連れ帰りました。彼は2匹の捨て犬と暮らしています。「誰にも気付いてもらえなかったからこそ、彼らを大切にしたいんだ。清掃員も同じ。誰も見ていないからね」と言いました。

イエスにあって成長する

子どもの頃、大人は賢くて失敗しない、常にどうすればよいか分かっている、と思っていました。成人したら自分もそうなれると思ってきました。その日はずいぶん前に訪れました。そして分かったことは、分からないことはまだまだあるということです。家族の病気、職場の問題、人間関係のもめ事など、対応に苦慮し、自分のふがいなさが身に染みるとき、残る選択肢は、ただ一つ。目を閉じて「主よ、助けてください。どうしたらよいか分からないのです」とつぶやくことです。

イエスを信じて耐え忍ぶ

神学生の頃、学校では毎週、チャペル礼拝がありました。ある日、学生が「主は偉大なり」を賛美していると、皆に敬愛されている3人の教授もまた力強く歌っていました。 3人の表情は喜びで輝いており、それは信仰のなせる業でした。後年、それぞれが不治の病に侵されましたが、あの信仰によって、耐え忍び、周囲の人々を励ましたのです。

私の神はすぐそばに

ルーデスはマニラのボイストレーナーです。授業は30年以上対面だったので、オンラインに移行すると言われて心配でした。「私はメカには弱いし、うちのパソコンは古い。ビデオ会議のソフトのこともあまり知らない……」。大儀ない人もいるでしょうが、彼女には大問題でした。「一人暮らしの私には、そばで助けてくれる人もいない。収入が必要なのに、やめる生徒がいるかもしれない」と不安でした。

神はあなたを忘れない

私は子どもの頃、切手を集めていました。祖父はそれを知ると毎日、職場に届く郵便物の切手を取っておいてくれました。そして家に行くと、様々な美しい切手でいっぱいの封筒を渡してくれました。ある時「どんなに忙しくても、お前のことは忘れないよ」と言いました。祖父はシャイで愛情を表立って表しませんが、私は深く愛されていると感じていました。

神を信頼する

緊急に2種類の薬が必要でした。母のアレルギーの薬と姪の湿疹の薬です。2人の症状は悪化しているのに、薬局にはどちらもありません。私は途方に暮れ、ただ必死に「主よ、助けてください」と何度も祈りました。数週間後、2人の症状は落ち着いてきました。まるで神が「わたしは薬を使うときもあるが、薬が病気を癒やすわけではない。病気を癒やすのは神だ。薬ではなく、神に頼りなさい」と言われているようでした。

イエスにすがる

オフィスビルの吹き抜けの階段で突然めまいがしました。階段がぐるぐる回り、動悸(どうき)がして足がすくみました。必死で手すりにすがりつきました。貧血症と診断され、今は完治しましたが、あの日の辛さを忘れられません。ですから、イエスに触れた女性はすごいと思います。彼女は弱った身体を引きずって群衆をかき分けただけでなく、信仰で勇気を奮い起こし、イエスに近づいたのです(マタ9:20-22)。彼女が恐れるのは当然でした。彼女の状態は律法ではけがれとされ、そのけがれを他者に移すなら、厳しく裁かれる可能性がありました(レビ15:25-27)。しかし、「この方の衣に触れさえすれば」という思いが、彼女を前に進ませました。21節で「触れる」と訳されたギリシャ語は、単なる接触ではなく「しがみつく」または「密着させる」という強い意味を含んでいます。彼女はイエスにすがりました。このお方なら癒やせると信じていたのです。