何の関わりがありますか
幼いめいが「あの子はぶどう味のあめなのに、どうして私はいちご味なの?」と尋ねました。子どもは自分のもらった物と他人のもらった物を比較しがちです。それをずっと前におい、めいから学び、彼らを溺愛する叔母として、適切な判断をしなければと考えています。
新しくて確かなもの
友人のスーザンは3年間、生活必需品以外は自分のために何も買いませんでした。新型コロナウィルスの大流行のために収入が激減し、質素な暮らしを余儀なくされたのです。ある日、部屋を掃除していると、何とみすぼらしく、色あせた物ばかりかしらと思ったそうです。彼女は言います。「その時、新しいものを手にしたときのワクワク感が欲しい、と思ったの。くたびれて生気がないものに囲まれて、この先、楽しみは何もないかのように感じたのよね」
あわれみの示し方
教会役員のハロルドと妻のパムの家に招かれ、嬉しくも不安でした。聖書に反することも教える大学の聖書研究会に行ったからです。叱られるのかしらと思いました。
神は召し、備えられる
国際書籍博覧会における担当は、施設内のラジオ放送の監督だと上司に言われ、私は怖くなりました。それは全く経験のない仕事です。私は祈りました。「神よ、そういう仕事の経験は、私にはありません。どうか助けてください」
私の必要は主が賄う
マニラの乗合タクシーの運転手ランドは、道端の屋台でコーヒーを一気に飲みました。コロナによるロックダウンは終わり、通勤客が戻ってきました。今日のスポーツイベントは稼ぎ時です。失った収入を取り戻せる、もう心配しなくていいのだ、と思いました。
心
口を閉じている限り、自分は悪くない。それが私の態度でした。同僚の言葉を誤解して腹を立てましたが平静を装い、毎日顔を合わせなければならないので、会話は必要最低限に留めました。沈黙が仕返しです。この態度のどこがいけないのでしょう。
主が立ち止まられる時
病気の猫が私の職場近くで箱に入れられ、何日も鳴いていました。道端に捨てられていたことに、誰も気付きませんでした。しかし、道路清掃員のジュンが見つけ、家に連れ帰りました。彼は2匹の捨て犬と暮らしています。「誰にも気付いてもらえなかったからこそ、彼らを大切にしたいんだ。清掃員も同じ。誰も見ていないからね」と言いました。
イエスにあって成長する
子どもの頃、大人は賢くて失敗しない、常にどうすればよいか分かっている、と思っていました。成人したら自分もそうなれると思ってきました。その日はずいぶん前に訪れました。そして分かったことは、分からないことはまだまだあるということです。家族の病気、職場の問題、人間関係のもめ事など、対応に苦慮し、自分のふがいなさが身に染みるとき、残る選択肢は、ただ一つ。目を閉じて「主よ、助けてください。どうしたらよいか分からないのです」とつぶやくことです。
イエスを信じて耐え忍ぶ
神学生の頃、学校では毎週、チャペル礼拝がありました。ある日、学生が「主は偉大なり」を賛美していると、皆に敬愛されている3人の教授もまた力強く歌っていました。 3人の表情は喜びで輝いており、それは信仰のなせる業でした。後年、それぞれが不治の病に侵されましたが、あの信仰によって、耐え忍び、周囲の人々を励ましたのです。