寄稿者

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寄稿一覧 Katara Patton (ゲスト寄稿者)

簡単にムカつかない

数カ月間の感染症対策の後、対面での礼拝が再開され、私は教会の人たちに久しぶりに会えると楽しみでした。しかし一部の人々、特に年配の人たちは、安全上の理由で欠席したり、すでにこの世を去っていたりで、会えません。ですから、ある年配の夫婦が礼拝堂のいつもの席に座っているのを見つけた時、とてもうれしくなりました。私は二人に手を振りました。夫は手を挙げましたが、妻は仏頂面で見つめているだけでした。私は少しムッとして、なぜだろうといぶかりました。

与える喜び

飛行機の中でせっせとセーターを編んでいた女性が、編み針を出し入れする様子をじっと見つめる赤ちゃんの存在に気付きました。そして、このセーターを完成させる代わりに、あの子に帽子を編んであげようと思いつきました。5時間のフライトの残りは、あと1時間。それで完成させなければなりません。彼女が着陸時に小さな帽子を赤ん坊の母親に差し出すと、家族みんなが喜び、他の乗客は笑顔で拍手を贈りました。

御心を求める祈り

キリストを信じて間もなかったある日、デボーションのみことばは「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタ7:7)でした。そして、神に求めるべきことは、自分の願いを御心に沿わせようとする意思の力だ、と解説されていました。神の御心が成るように本気で願うことで、それは私の願いとなり、必ずかなえられる。これは私には新しい概念でした。私は御心が自分の人生に成されるように祈りました。

神は見ておられる

友人は教会の椅子の上に立ち上がって手を振る息子に「座りなさい」と強い口調で言いました。しかし、男の子は「先生に気付いてほしいの。高くないと見えないでしょ」と無邪気に答えました。教会で椅子の上に立つのは危険で行儀が悪いことですが、この子の言い分はもっともです。立ち上がって手を振れば、確実に牧師の注意を引けるでしょう。

絶えず祈りなさい

高校に入った娘が昼休みにスマホにメッセージをくれました。テストの結果が良かったようで興奮しています。母親の私も大喜びです。テストの点数が良かったからだけではありません。私に伝えたいと思ってくれたからです。良い知らせを共有したかったのでしょう。

人生ゲーム

フェイスブックの「過去の思い出」に、「ヘビとはしご」というボードゲームに勝った5歳の娘の写真が表示されたので、私の兄と妹に、それをタグ付けしました。私たちも子どもの頃によく遊んだからです。 「ヘビとはしご」の発祥は、何世紀も前にさかのぼります。数え方を学ぶのに役立ち、はしごを登るドキドキ感も味わえます。最も早く100に到達すると勝ちですが、98番に止まると、はしごを滑り落ち、勝ちが遅れたり、負けてしまったりします。まるで人生のようです。

助け合い

バスケットコートにフェアリー・ディキンソン大学(FDU)の選手たちが現れると、この下剋上チームに観客席から大声援が送られました。大学リーグで初戦敗退と思われていたからです。スタンドから彼らの応援歌が聞こえてきました。大学に応援団はないのに……。デイトン大学の応援団が試合の直前にFDU応援歌を習得したからです。自分たちのレパートリーでも十分だったのに、他校のために習うことを選択したのです。

互いから学ぶ

以前、まだZoomが広まっていない時、友人がビデオ通話で仕事の話をしようとメールしてきました。そして、返事の文面に私の戸惑いを察知すると、身近にいる若者にセットアップの仕方を教えてもらうように提案しました。

神に感謝をささげる

友人は、帰宅を急ぎながら夫が帰る前にできる夕飯は何かしらと考えていました。夫婦とも忙しく責任ある仕事をしています。日曜日は鶏肉料理を作りました、月曜日は、その残り、そして火曜日も焼いた鶏肉でした。冷凍庫に魚の切り身が2切れありましたが、魚は夫の好物ではありません。しかし、短時間で調理できるものは他に無かったので、それにするしかありませんでした。