寄稿者

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寄稿一覧 Katara Patton (ゲスト寄稿者)

キリスト者の勇気

シカゴの労働者が、19世紀末、ストライキをしました。メアリー・マクダウエルの住まいはそこから遠くありませんでしたが、彼らの劣悪な環境については無知でした。しかし、それを知ると地域に移り住み、改善を訴える代弁者となり、彼らの子どもたちの教育に従事しました。

速やかに祈る

上司のおかげでよく祈るようになったと親しい同僚が言ったので感心しました。私たちの上司は気難しい人ですが、もしかして、霊的な奥義を教えてくれたのかしらと思いました。しかし、違いました。「彼がこっちに来るのに気付くと祈り出すの」と言いました。上司と話をする前には必ず祈るようにしたそうです。厳しい上司と働くためには神の力が必要なので、以前にも増して神に頼るようになったと言いました。

聞くのに早く

親しい友人の批判に反論しようとして、鼓動が速くなるのを感じました。私がネットに書いたのは、彼女のことではありません。しかし、反論する前に小さく祈りました。すると心が落ち着いて、彼女の言っていることや、彼女が傷ついた理由が分かってきました。明らかに表面的な問題ではありません。友人は傷ついていました。私は、彼女がその痛みを言葉にできるように助けようと思いました。そう決めると、自分を守る必要は無くなりました。

神の知恵は命を救う

郵便配達員は心配になりました。一人暮らしの老婦人の家のポストがいっぱいです。彼女は普段、毎日、郵便物を取り出しているのに……。配達員は賢明な判断をしました。隣人に尋ねたのです。すると、その人は合鍵を持っていた別の人に知らせました。彼らは一緒に女性の家に入り、彼女が床に倒れているのを見つけました。4日前に転倒した後、起き上がることも、助けを呼ぶこともできなかったのです。配達員の目配り、気配り、決断力や行動力が、1人の高齢女性の命を救ったと言ってもよいでしょう。

信仰によって見る

朝の散歩の時、ミシガン湖を絶妙な角度で照らす光が作る風景を写真に収めようと、一緒にいた友人に少し待ってほしいと頼みました。そして、スマホを取り出しましたが、光が当たった画面では景色が確認できません。しかし、以前にもやったことがあったので、素晴らしい写真が撮れると確信していました。私は友人に「見えなくても、こういう写真は大概よく撮れるものよ」と言いました。

選択

友人が亡くなって半月ほどして彼女の母と話す機会がありました。「いかがですか?」と聞くのはちゅうちょされました。だって、悲しいに決まっています。しかし、その気持ちを押して尋ねました。すると彼女は「大丈夫。私は喜びを選ぶから」と答えました。

神は人の罪を覆う

あるシングルマザーが、1950年代、生活のためにタイピストになりましたが、よく打ち間違いをしました。彼女はそれを繕う方法を模索し「修正液」を発明しました。白い液体が乾いたら、その上にタイプして、間違いなど無かったようにできました。

祝福マスク

新型コロナウイルス感染症対策のマスク着用義務が緩和されても、娘の学校などではまだ必要でした。ある日、マスクが必要な場面で車中にあったのは、普段使わないものでした。私は大抵、無地のマスクを使いますが、それは表に「祝福」と大きく書かれていたからです。

幼子の信仰

私たちが「おばあちゃん」と慕っている86歳の女性が脳卒中で入院しました。言葉らしきものを話しても、その意味は理解不能でした。担当医は少し回復しなければ脳機能検査ができないと言います。しかし、彼女は私の顔を見ると、渇いた口を開いて「ケイラは元気?」と尋ねました。ケイラは私の娘で、12年間、彼女に在宅保育されていました。精一杯の愛情で世話してきたケイラのことを、まず尋ねたのです。