御心を求める祈り
キリストを信じて間もなかったある日、デボーションのみことばは「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタ7:7)でした。そして、神に求めるべきことは、自分の願いを御心に沿わせようとする意思の力だ、と解説されていました。神の御心が成るように本気で願うことで、それは私の願いとなり、必ずかなえられる。これは私には新しい概念でした。私は御心が自分の人生に成されるように祈りました。
神は見ておられる
友人は教会の椅子の上に立ち上がって手を振る息子に「座りなさい」と強い口調で言いました。しかし、男の子は「先生に気付いてほしいの。高くないと見えないでしょ」と無邪気に答えました。教会で椅子の上に立つのは危険で行儀が悪いことですが、この子の言い分はもっともです。立ち上がって手を振れば、確実に牧師の注意を引けるでしょう。
絶えず祈りなさい
高校に入った娘が昼休みにスマホにメッセージをくれました。テストの結果が良かったようで興奮しています。母親の私も大喜びです。テストの点数が良かったからだけではありません。私に伝えたいと思ってくれたからです。良い知らせを共有したかったのでしょう。
人生ゲーム
フェイスブックの「過去の思い出」に、「ヘビとはしご」というボードゲームに勝った5歳の娘の写真が表示されたので、私の兄と妹に、それをタグ付けしました。私たちも子どもの頃によく遊んだからです。 「ヘビとはしご」の発祥は、何世紀も前にさかのぼります。数え方を学ぶのに役立ち、はしごを登るドキドキ感も味わえます。最も早く100に到達すると勝ちですが、98番に止まると、はしごを滑り落ち、勝ちが遅れたり、負けてしまったりします。まるで人生のようです。
助け合い
バスケットコートにフェアリー・ディキンソン大学(FDU)の選手たちが現れると、この下剋上チームに観客席から大声援が送られました。大学リーグで初戦敗退と思われていたからです。スタンドから彼らの応援歌が聞こえてきました。大学に応援団はないのに……。デイトン大学の応援団が試合の直前にFDU応援歌を習得したからです。自分たちのレパートリーでも十分だったのに、他校のために習うことを選択したのです。
互いから学ぶ
以前、まだZoomが広まっていない時、友人がビデオ通話で仕事の話をしようとメールしてきました。そして、返事の文面に私の戸惑いを察知すると、身近にいる若者にセットアップの仕方を教えてもらうように提案しました。
神に感謝をささげる
友人は、帰宅を急ぎながら夫が帰る前にできる夕飯は何かしらと考えていました。夫婦とも忙しく責任ある仕事をしています。日曜日は鶏肉料理を作りました、月曜日は、その残り、そして火曜日も焼いた鶏肉でした。冷凍庫に魚の切り身が2切れありましたが、魚は夫の好物ではありません。しかし、短時間で調理できるものは他に無かったので、それにするしかありませんでした。
土の上の美
近所の空き地にきれいな畝がいくつもできています。そして小さなつぼみをのぞかせた葉っぱがたくさん植わっていました。翌朝、赤いチューリップの花が開いているのを見て思わず立ち止まりました。
心配という雑草を抜く
庭のプランターに2、3の種をまいて、水をやるたびに良く観察し、発芽を心待ちにしていました。10日から2週間で芽を出すとのことで、少し経つと、2、3枚の緑色の葉っぱが土から顔を出しました。ところが、それは雑草だと夫が言うので、私のワクワク感は消えてしまいました。肝心の植物の成長を守るために雑草はすぐに抜かなければなりません。