そばにいる
友人一家に、とてもつらい出来事が起こりました。私は何と言ってあげればよいのか、何をしてあげればよいのか分からなかったので、正直にそう言いました。すると友人は私を見つめ、「そばにいてくれるだけでいいの」と言いました。私は、言われたとおりにしました。それからしばらくして、私たちは神の愛について話し始めました。
くじけるな
来る日も来る日も、三度の食事を作るのは飽きてしまいました。皮をむいたり、切ったり、混ぜたり、煮たり、炊いたり、焼いたり、少々うんざりしています。ところが、食べることには決して飽きません。毎日毎日繰り返しているのに、なぜか食べることには飽きません。むしろ楽しみです。
仕える人
泣いている赤ん坊にミルクを飲ませ、上の子がなくしたおもちゃをベッドの下から引っ張り出し、夫といっしょに青いネクタイを必死になって探しながら、「私はだれの召し使いでもないのよ」と叫びました。けれども、後で聖書を読むと、「食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう…しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています」
神の食事を楽しむ
テーブルが丸いか四角いか、椅子が木かプラスチックか、さらには、どんな食事かは問題ではありません。もちろん、愛情こもった手料理なら、それに越したことはありませんが…。テレビを消し、スマホを触らず、いっしょにいる人との時間を大切にするなら、楽しい食事になります。
危険な近道
最近、私の国で選挙がありましたが、知り合いの貧困家庭の母親は、おむつひと袋で買収されてしまいました。彼女と選挙について話し合ったことがあったので、これにはがっかりさせられました。「あなたの信念はどうなったの?」と尋ねても、彼女は黙っているだけです。その候補者が当選してから半年、税金はさらに上がりました。すべての物が値上がりしています。おむつも例外ではありません。
代価を知る
最近、2歳の息子にブーツを買ってあげました。息子は大喜びで寝るまでブーツを履いていましたが、次の日にはすっかり忘れて、古いスニーカーを履きました。夫は「これがいくらしたか分かってくれればなあ」とこぼしました。