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Lawrence Darmani

Lawrence Darmani

ローレンス・ダーマニ氏は、 ガーナ人作家です。 彼の処女作 「悲しみの子」は、 英連邦作家賞アフリカ部門にて新人賞を受賞しました。 ダーマニ氏は家族とともにガーナ ・ アクラに住んでおり、 Step Publishers の代表および編集者です。

寄稿一覧 Lawrence Darmani

羊のようだ

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。—イザヤ書53:6

ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。

ですから私は、「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザ53:6)という、イザヤの言葉がよく分かります。私たちは、さまよっています。神が悲しまれることを願ったり、行ったり、他人を傷つけたします。多忙や無関心が理由で、神とともに過ごす時間や神のみことばを学ぶ時間を大切にしなくなります。まるで牧場の羊のようです。

しかし、幸いなことに、いのちを捨ててくださった「よい羊飼い」がおられます(ヨハ10:11 口語訳)。その方は、私たちの悲しみと罪を負ってくださいました(イザ53:4-6)。そして、みそば近くを歩むことができるように、安全な牧場に帰りなさいと、声をかけてくださいます。—Lawrence Darmani

私は時にさまよいます。私のたましいの羊飼い、いつも私を探し、あなたのもとへ連れ戻してくださるお方、心から感謝します。

神に導いていただきたいなら、喜んでついて行かなければならない。

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羊のようだ

聖書のみことば:イザヤ書9:1-7

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。―イザヤ書53:6

ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。

ですから私は、「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザ53:6)という、イザヤの言葉がよく分かります。私たちは、さまよっています。神が悲しまれることを願ったり、行ったり、他人を傷つけたします。多忙や無関心が理由で、神とともに過ごす時間や神のみことばを学ぶ時間を大切にしなくなります。まるで牧場の羊のようです。

しかし、幸いなことに、いのちを捨ててくださった「よい羊飼い」がおられます(ヨハ10:11 口語訳)。その方は、私たちの悲しみと罪を負ってくださいました(イザ53:4-6)。そして、みそば近くを歩むことができるように、安全な牧場に帰りなさいと、声をかけてくださいます。

私は時にさまよいます。私のたましいの羊飼い、いつも私を探し、あなたのもとへ連れ戻してくださるお方、心から感謝します。

神に導いていただきたいなら、喜んでついて行かなければならない。

友情のしるし

ガーナで過ごした少年時代、人混みでは父と手をつないでいました。私にとって父は友でもありました。私の国の文化では、手をつなぐことは友情のしるしだからです。私たちは歩きながら様々なことを語り合いました。寂しい時は、いつも父に慰められました。この関係は私の宝物でした。

光の中を歩む

月が隠れるとやみが村に降りてきました。稲妻が光り、雨風が暴れ、雷鳴がとどろきました。子どもの私は、怖くて寝付けず、恐ろしい怪物たちが、私に飛びかかろうと狙っていると怯えました。しかし、夜が明ける頃に嵐は静まり、鳥のさえずる穏やかな朝が訪れました。夜の闇の恐怖と昼の太陽の喜ばしさは極めて対照的でした。

鏡と聞く耳

ウガンダの首都カンパラでセミナーに参加したときのことです。ホテルまで迎えに来てくれた主催者の女性は、私を一瞥して、にやりと笑いました。「何かおかしい?」ときくと「髪をとかしましたか?」と尋ねられました。うっかりしていました。ホテルの鏡で自分の姿を確認したのに、なぜ気づかなかったのでしょう。

孤独なクリスマス

今までで最も寂しかったクリスマスは、15歳で親元を離れ、家から1,000キロも離れたガーナ北部の祖父母の小さな家で過ごしたときです。それまでは、両親や兄弟、村の友だちがそばにいて、クリスマスは盛大で思い出がいっぱいでした。しかし、その年のクリスマスは寂しいものでした。その日の早朝、私は床(ゆか)に敷いたマットに寝そべったまま「今年も終わりだ、クリスマスがやってきた、神の御子が生まれた、すべての人に平安と喜びを」という地元のクリスマスソングを思い出し、悲しい気持ちで何度も繰り返して歌いました。すると祖母が来て、何の歌かと尋ねました。祖父母は、クリスマスも、キリストも、全く知りません。そこで私は自分が知っていることを話しました。その瞬間、私の孤独に光が差したのです。

神の臨在

心配げな父と青年は霊媒師の前に座りました。霊媒師は「あなたの息子はどこに行くのですか」と尋ねました。父は「大きな町まで。そして長い間、帰ってきません」と答えました。霊媒師は彼にお守りを手渡し「どこに行こうと、これが彼を守るだろう」と言いました。私がその青年です。しかし、霊媒師もお守りも役に立ちませんでした。その町にいる間に、私はイエスを信じ、お守りを捨ててキリストにしがみつきました。人生にイエスを迎えたことで、神の臨在が保証されました。

言葉以上に

アフリカのある言語に翻訳された聖書が、完成を記念する式典で、その地の首長に贈呈されました。彼は感謝して聖書を掲げ「神が我々の言語を理解されることがわかった。私たちは母語で聖書を読むことができる」と叫びました。

橋を架ける

私の町の住宅は防犯用の高い塀で囲まれています。塀の上に電気柵を取り付ける家もあります。一方、この国では停電が日常茶飯事なので、呼び鈴が作動せず、訪問者が炎天下や大雨の中、塀の外で待たされたりします。居留守を使われる場合もあります。防犯用の塀は、それなりの効果がありますが、悪意のない訪問者に対して差別の壁になることもあります。