伝えずにはいられない
裁判の証人は傍聴人とは違います。彼らは判決を左右する裁判の積極的な参加者です。同じことがキリストの証人にも言えます。私たちは、イエスの死と復活という絶対的に重要な真実に関する積極的に証言する参加者であるべきです。
どんなに辛くても
自宅のある地域が頻繁に停電するので困ります。週に3回もあったり、丸一日復旧せず、辺りが真っ暗だったりすることもあります。家電製品が使えないのも非常に不便です。
あなたの荷を下ろしてください
田舎で軽トラックを運転していた人が、重い荷物を背負った女性を見かけました。車を止めて乗っていくよう勧めると、彼女は感謝して荷台に乗り込みました。ところが奇妙なことに、女性は車に乗ってもまだ、重い荷物を背負っているのです。運転手は言いました。「お願いですから、荷物を下ろして、ゆっくりしてください。このトラックは、あなたも、あなたの荷物も運べます。」
別の側面
聖会の主題は「私の民を慰めよ」で、各講師は安心を保証するメッセージを語りました。しかし、最後に奉仕した講師は、「目を覚ませ」と題して、まったく語調の違うメッセージを語りました。優しい態度ながらも言葉を濁さず、エレミヤ書7章1~11節から、目を覚まして罪を離れなさいと語ったのです。彼は、「私たちは、自分は神に愛されている。だから悪を恐れないと言いながら、様々な悪を行います…神の恵みに隠れて密かに罪を続けてはいけません」と、預言者エレミヤのように忠告しました。
集中して
私は会堂に座って、牧師をじっと見つめていました。その姿勢は、彼の話を漏らさず吸収しているように見えたはずです。しかし突然、みんなの笑い声や手を打つ音が聞こえ、私は驚いて周りを見ました。牧師が面白いことを言ったようでしたが、何のことかさっぱりわかりません。熱心に聞いているように見えて、実は、私の心は別の所にあったのです。
警戒を怠らない
書斎の窓から、木々にやってくる鳥たちを眺めることができます。中には、網戸の隙間に挟まった虫を食べようと、窓のところまで来る鳥もいます。しかし彼らは、用心深く警戒し、聞き耳を立て、周囲に目を配ります。危険がないと分かると、ようやく安心してエサを食べますが、それでも、数秒ごとに周囲を見回します。
わたしはあなたとともにいる
キリスト教出版社のインターンだったとき、クリスチャンになった人の証を雑誌に書きました。劇的な救いを通して以前の生活と決別し、喜んでイエスを人生に迎えた人の話です。ところが発刊の数日後、「気をつけろよ!お前は監視されているぞ。あんなことを書くなら命の保証は無いぞ」と、脅迫電話を受けたのです。キリストを示して脅されたのは、そのときだけではありません。トラクトを配っていて、「それを持って失せろ!さもないと…」と脅されました。2回とも恐ろしい経験でしたが、単なる脅迫でした。一方、脅迫だけでは済まなかったクリスチャンも大勢います。場合によっては、敬虔な生き方をしているというだけで、迫害されることもあります。
他人のために死ぬ
私は鳥が大好きなので、かごに入った6羽の鳥を買いました。娘のアリスが世話をしましたが、しばらくすると、一羽が病気で死にました。私たちは、かごに入っていなければ元気だったかもしれないと考え、生きている5羽を放しました。鳥が喜んで飛び立っていった時、アリスは言いました。「パパ、気づいている?一羽の死によって、残りの鳥は自由になったのよ。」何と、これは主イエスのなさったことではありませんか。アダムという一人の人の罪が、世に死をもたらしたように、イエスという一人のお方の義が、信じる人たちみんなに救いをもたらしました(ロマ5:12-19)。イエスは、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」と言われました(ヨハ10:11)。
健康に良いもの
私が住む町、ガーナのアクラでは、タクシーやミニバスの運転手の喧嘩がたびたび起こります。不注意な運転にカッとなった人が悪態をついて、口論がエスカレートします。しかし以前、違ったケースを目にしました。タクシーの運転手が注意を怠って、危うくバスにぶつかるところでした。私は、厳しい表情のバスの運転手が怒鳴ると思いましたが、この人は「しまった」という顔のタクシーの運転手に向かって、笑顔を見せました。その効果は絶大です。タクシー運転手は手を挙げて謝り、走り去っていきました。その場の緊張は解かれたのです。