寄稿者

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Leslie Koh

Leslie Koh

生まれも育ちもシンガポールのコー氏は、デイリーブレッド社に加わる前、シンガポール最大の新聞ザ・ストレイツタイムズのジャーナリストとして15年余り筆を取りました。悪い知らせがほとんどの新聞から良き知らせを伝えることに鞍替えできたのは大きな収穫だと言います。コー氏は、心を動かす良質の読み物こそ何よりも人の心に届くと信じています。コー氏の趣味は、食べること、旅行、ジョギング、そして執筆編集です。

寄稿一覧 Leslie Koh

何もかも失ったとき

半年でジェラルドの人生は激変しました。経済危機で事業と財産を失い、息子を事故で亡くしました。母はショックから心臓発作で死亡、妻はうつ病になり、ふたりの娘たちは深く傷つきました。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩22:1)というみことばを繰り返すほか、何もできませんでした。

今、おられますか

妻が難病にかかった時、イエスを信じる信仰による平安を手にして欲しいと思い、マイケルは福音を語りましたが、彼女は関心を示しませんでした。ある日、通りがかりの本屋で「神さま、今、おられますか」という本に目が留まりました。妻がどう思うだろうとさんざん迷いましたが、結局買って贈ると、驚いたことに、妻は受け取ってくれました。

苦しみの目的

人工透析が必要だと言われて、シウ・フェンは、もう十分だと思いました。独身で定年まで働きました。長年のクリスチャンです。頑張って長生きする理由はないと思いました。しかし、友人たちに説得され、神を信頼して人工透析を始めました。

素晴らしい知らせ

地方新聞が「家族の絆」というテーマでキリスト教団体が刑務所で行ったイベントについて報じました。受刑者たちは、ガラス越しではなく家族と対面し、互いに手を触れ、抱きしめ合うことができました。長年、我が子に会っていない人もいたそうです。自然に涙が流れ、家族の距離が縮まり、癒しが始まりました。

備えられた良い行い

海外旅行に行ったとき、大柄な人が近づいて来たので後ずさりしました。この休暇は散々でした。怒鳴られたり、だまされたり、ゆすられたりしました。またか…と身構えたところ、その人は街を一望できる場所を告げ、笑顔でチョコレートを渡すと去っていきました。彼の小さな親切で、その日は気持ちよく過ごせました。旅全体も救われました。私たちは、元気をくれたその人と神に感謝しました。

神が否と言われるとき

兵役義務に18歳でついたとき、配属先について必死で祈りました。体力が自慢ではなかったので、厳しい戦闘訓練のない部署に行きたかったのです。ところが、聖書を読んでいて「わたしの恵みは、あなたに十分である」(Ⅱコリ12:9)というみことばが飛び込んできました。不安になりましたが、それは間違いでした。神は私の祈りに応えて、大変な所に配属されても助けようと言われたのです。結局、私は装甲歩兵になり、辛いこともありました。しかし、あの経験と訓練は、私を肉体的にも精神的にも鍛え、一人前の大人になる準備をしてくれたと感謝しています。

母の愛

幼い頃に両親が離婚し、親権などをめぐる争いがあったため、スーはしばらく施設に預けられました。そこでいじめに遭い、見捨てられたように感じました。母は月に一度だけ面会に来ましたが、父はめったに来てくれません。しかし、ずっと後になって、頻繁に会えなかったのは施設の規則のためで、母は一目でも娘の姿を見ようと、毎日フェンスの外からのぞいていたと知りました。時には園庭で遊んでいる娘を見て、元気か確かめていたと言います。

建てるのを止めるな

サイモンは職場で昇進の打診をされました。自分で祈り、人に相談もした結果、神が責任の重い仕事につくように促しておられると確信しました。上司も応援してくれ、順調に行きそうに見えましたが、事態が急変しました。彼を妬んで協力を拒否する同僚が現われたのです。サイモンはあきらめるべきかと悩みました。

常に受け入れられている

アンジーは勉強についていこうと数年間、頑張りましたが、ついにエリート小学校から「普通の学校」に転校しました。競争の激しいシンガポールでは「良い」学校から明るい将来が広がると考えられているので、これを挫折と捉える人も多いでしょう。両親は落胆し、彼女自身も格下げされたように感じました。ところが間もなく、この9歳の少女は、普通の小学生といっしょにいるとはどういうことかを理解して、こう言いました。「ママ、私、居場所を見つけた。やっと受け入れてもらえたわ。」