皆を愛する
私は広い庭のある教会で礼拝をささげていますが、これは国土が縦40km横24㎞しかないシンガポールでは珍しいことです。少し前から外国人労働者が毎週日曜日、ここでピクニックをするようになりました。この状況に教会員の反応は様々でした。ゴミを散らかすと言って腹を立てる人もいました。一方、自分たちの方からわざわざ出て行かなくても在留外国人をもてなす機会が与えられたと考える人もいました。
やり直す人生
教会に招いたグループが、会衆賛美をリードしてくれました。主を愛する彼らの情熱は手に取るように分かります。私たちはとても感動しました。
神はご存じだ
アナは教会で悲しみを抱えた女性と知り合い、彼女の力になりたいと思いました。それで毎週待ち合わせて、話を聞いたり、祈ったりしていました。ところが、牧師はアナの行いを知らなかったので、その女性のケアにひとりの担当者をつけました。アナは牧師に認められたいと思っていたわけではありませんが、落ち込みました。 「私が何もしていなかったみたい」と私にこぼしていました。
生涯にわたる訓練
マラソンのトレーニングがうまくいきません。直近のレース結果は惨憺たるもので、半分近くを歩いたばかりか、座り込んでしまうことすらありました。私は入試に落ちた学生のようにがっかりしました。しかし気を取り直して、トレーニングの趣旨を思い出しました。これは合格したり成績を上げたりするための訓練ではありません。むしろ、何度も挑戦して持久力をつけるための訓練なのです。
直接会う特権
ネゲブ砂漠に建つ幕屋はレプリカですが、それでも畏敬の念を抱かせます。金やアカシア材を使ってはいませんが、出エジプト記25章から27章に書かれている寸法に従って復元されました。
父のように
男の子が車のチャイルドシートの中で想像上のハンドルを握り、父親の真似をしようと次の行動に注目しています。私も小さい頃は同じで、父の真似をするのが大好きでした。父にしてみれば、自分の真似をする息子は可愛くてしかたなかったでしょう。